工場の現場から「人間の出現空間」が消える
アーレントは、人間の「活動」が成立する条件として「複数性(plurality)」を強調した。複数の人間が、同じ空間に身体を持って現れ、互いを認識し合う。そこで初めて、政治も、文化も、共同性も生まれる。
しかし、ヒューマノイドの遠隔操作が常態化した未来において、工場の現場には誰がいるのか。物理的にはヒューマノイドだけが並ぶ。人間は遠隔地のオフィスや自宅から、VRゴーグル越しに操作している。現場における「複数の人間の出現空間」が、消える。
労働は、ロボットに移譲される。仕事(制作)も、ロボットが代行する。では、活動は――他者と顔を合わせ、言葉を交わし、共に何かを決めるという営みは、どこで起きるのか。
アーレントは、この問いを直接ヒューマノイドについて論じたわけではない。しかし、彼女が1958年に見抜いた「世界からの疎外」の構造は、2026年の工場で、より純粋な形で進行しつつある。
大工の金槌が、ヒューマノイドの手になった
「身体図式――道具は身体の延長になる」
――モーリス・メルロ=ポンティ
20世紀フランスの哲学者は、身体と道具の関係をこう表現した。長年使い込んだ大工の金槌、外科医のメス、職人の筆――これらは「持つもの」ではなく、身体の一部になる。手の延長として、世界に触れる装置になる。
熟練した大工は、金槌を意識しない。金槌は彼の腕の続きだ。釘の硬さ、木材の繊維の向き、打撃の反動――これらは金槌を介して、彼の身体に直接伝わる。彼の身体は、金槌の先端まで広がっている。これがメルロ=ポンティが言う「身体図式」である。
VRゴーグルをつけた人間が指を動かす。その動きが、ロボットの手に移る。これが身体図式だ。ロボットの手が、人間の手の「延長」になっている。大工の金槌が彼の腕の続きだったように、いま、ヒューマノイドの手が、操作者の腕の続きになっている。
私自身、ドローンを操縦した時、機体が身体になる感覚を体験したことがある。地上で立っているのに、視点は空にある。手元で操縦桿を動かしているのに、自分が飛んでいる感覚がある。あの感覚と、いま目の前で起きていることは、同じ構造である。

