「山手線の穴場的な存在」だった
2022年に2位から4位へ下がった背景には、コロナ禍があった。リクルートSUUMO編集長の池本洋一氏は同年の取材で、恵比寿の魅力である飲食店の集積が外食制限期にマイナスに働いたこと、また、これまで恵比寿に投票してきたのは郊外の住民だったが、コロナ禍で投票傾向が地元志向に変わり大宮・浦和など埼玉勢が伸びたこと、を背景として挙げている。
また、本記事の筆者である中川寛子氏は、再開発前の恵比寿について「山手線中で賃料などが安い穴場的な存在だった」とも振り返っている。約15年前は圏外、いまは4位で安定。その移り変わりは、ここまで見てきた街の変遷とそのまま重なる。
「穴場」だった街が「住みたい街」へと変わっていった過程は、地価の推移にも刻まれている。
恵比寿町の公示地価(住宅地)は、1993年にバブルの残熱で505万円/平方メートルをつけたあと、2004年には130万円/平方メートルまで4分の1に下落した。再開発と街全体の魅力向上が一巡した時期から地価は反転し、2024年には244万円/平方メートルと、底値からほぼ2倍に戻している。基準地価(住宅地)では、2024年に485万円/平方メートルを記録し、バブル期の最高値を塗り替えて過去最高を更新した。バブルで地価が高騰していた時代を、いまの恵比寿は上回っている。
「遊びに行く街」から「住む街」に変わった
人口の面でも、街の変化は裏づけられる。森記念財団の調査(2023年)によれば、恵比寿ガーデンプレイスの開業以降、周辺の人口は約1.3倍に増えている。「遊びに行く街」だった恵比寿は、「住む街」としての評価を着実に高めてきたのだ。
1994年の開業当時、恵比寿ガーデンプレイスは「恵比寿へ行く理由」のほぼすべてだった。だが街全体の評価が高まるにつれ、人々の目的地は施設単体から街全体へと広がっていく。駅前の飲食店、恵比寿横丁、路面店、カフェなど、恵比寿に行く理由は、いまや街全体に分散している。
