30年前の恵比寿は「工場街」だった

現在の恵比寿には、感度の高い飲食店やショップが集まる街、というイメージが定着している。だが、この印象は最初からあったわけではない。

1988年10月発行の雑誌『Hanako』は、恵比寿駅周辺の市場をまとめて「恵比寿のアメ横」と紹介している。1991年2月号の同誌でも、恵比寿駅前は「古きよきTOKYO」として取り上げられた。そこに描かれていたのは、高感度な街というより、通好みの店が並ぶ、人情味のある商店街だった。

行政や業界の資料になると、その姿はさらにはっきりする。1992年発行の業界誌『新都市開発』には、当時の恵比寿について「JR恵比寿駅はターミナル性に乏しく、駅周辺はいわゆる駅前商店街として発展形成され、大型店などの出店はない」「住工商の混在地区や、木造賃貸共同住宅が集中した地区もみられる」と記録されている。

当事者の証言は、もっと率直だ。ヱビスビール記念館の館長は、2020年の取材で、恵比寿ガーデンプレイス開業前の街を「当時この周辺は、街灯もなくて夜は真っ暗で人通りも少ないような場所でしたね」と振り返っている。山手線の駅でありながら、夜は街灯すらまばらだった――それが、再開発直前までの恵比寿である。

恵比寿駅西口側にかつて存在した「山下ショッピングセンター」の跡地。戦後のバラックに起源をもつ。現在は「えびすストア」として約30店舗が営業している
筆者撮影
恵比寿駅西口側にかつて存在した「山下ショッピングセンター」の跡地。戦後のバラックに起源をもつ。現在は「えびすストア」として約30店舗が営業している

つまり1990年代前半までの恵比寿は、サッポロビールの恵比寿工場を抱える企業城下町であり、駅前には商店街が広がる「住む・働く・つくる」が入り交じった街だった。渋谷や代官山、広尾といった周辺エリアと比べれば、恵比寿はまだ「おしゃれな街」として完成しておらず、「都心の下町」のような場所だったのだ。

「商業施設」ではなく「都市」として作られた

そんな恵比寿の印象を大きく変えたのが、1994年に開業した恵比寿ガーデンプレイスである。

サッポロ社内で恵比寿工場跡地の活用が議論され始めたのは1971年。その後、1980年代に東京都の整備計画と連動する形で構想が具体化し、1987年にはサッポロが「水と緑の山手情報文化都市構想」を発表した。サッポロは本社を銀座から恵比寿へ移す方針も決めている。総事業費は約2950億円。構想から開業まで20年以上をかけた、長大な事業だった。

この事業の特徴は、商業施設だけでなく、住宅・オフィス・ホテル・美術館・映画館を一体で整備した点にある。1992年の『新都市開発』には、賃貸住宅520戸を建設する制度が記録されており、開業時点では分譲290戸と賃貸520戸のレジデンスが同時に整えられた。

ここから見えるのは、恵比寿ガーデンプレイスが「買い物に行く施設」ではなく、「住む・働く・泊まる・食べる・遊ぶ」をまとめて提供する都市開発だったということだ。工場跡地に大規模な複合施設をつくることで、恵比寿という街のイメージそのものを引き上げる。それが、この事業の本当の狙いだった。