「断らないでトライ」の精神

業界の常識を変えた高速乾燥機とタテ型製麺機だが、よくよく考えてみるとやっていることは非常にシンプルだ。高速乾燥機は「より強い風を、より速く、より高温で麺に吹きつける」といういかにも乾燥が早くなりそうな手法であり、タテ型製麺機も横に流していたものを縦に流しただけとも言える。言ってしまえば、当たり前のことをやっているだけだ。

素朴な疑問として、なぜ他社がこの“当たり前”に手を出さなかったかについて櫻澤社長に聞いてみた。

「他社さんのことはわかりませんが、我々はメーカーさんが喜んでくれるんだったら、こっちから新しい機能を提案してもっと便利な物を作りたい、という気持ちがあるんです。メーカーさんから依頼されたものだけを作る、という発想では新しい技術は生まれません」

顧客の要求を超えて提案型の開発をつづけ、しかもシンプルすぎて誰も見向きもしなかったところに踏み込んでしまう。こうした企業風土の原点には、創業者と2代目が定着させた「断らないでトライする精神」がある。

カップ麺に蓋をする機械。写真左側から右側に向けてカップが運ばれていき、右奥の機械がカップに蓋をしていく
撮影=プレジデントオンライン編集部
カップ麺に蓋をする機械。写真左側から右側に向けてカップが運ばれていき、右奥の機械がカップに蓋をしていく

「創業者も2代目も、お客さんから難しい話をいただいても断らないで、とにかくトライするんです。自宅でも机の前で、ああでもない、こうでもないと、考えをめぐらしていました。うちが小さな町工場から製麺関連の企業になったのも、創業者が即席麺のフライヤーの製造を断らなかったからです」

この精神は、2代目の姿勢は社員にも伝播でんぱし、冨士製作所の企業文化として根づいていった。「うちは他社と比べると、新しいもの、小さなものでも、どんどん手がけていくカルチャーがあるんです」と櫻澤社長。こうした企業体質こそが、社員83人の小さな会社を世界シェア1位に押し上げてきた原動力である。

“技術屋”の精神を継承していきたい

2代目から託された“技術屋魂”の伝統を、3代目である櫻澤社長はどう引き継いでいくのか。じつは社長自身は、「技術屋」ではない。大学は商学部で、1986年に冨士製作所に入社してからは一貫して営業畑を歩いてきた。

「2代目のような技術屋の素質は、弟にも私にも、あまりないんですよ」と櫻澤社長は率直に語る。周囲の友達を見ても、床屋の息子は床屋に、会社員の息子は会社員になっている。3代目として会社を継ぐことに、子どものころから疑問をもつことはなかったという。

技術屋の血を自らは引かないと自覚しているからこそ、櫻澤社長は「仕組み」で技術屋魂を残そうとしている。具体的な手段が、特許取得の強化である。

「ここ2、3年で特許の取得数を増やしていこうとしています。先代のころは、とにかく特許申請をひんぱんにしていて、取得数も多かった。それが最近ではぐっと減ってきていて、特許申請をする発想自体が乏しくなっている気がします。ここを立て直すのが、私の役目だと思っています」

今後の展望について語る櫻澤社長
撮影=プレジデントオンライン編集部
今後の展望について語る櫻澤社長

業界の常識を覆しつづけてきた2代目の“技術屋魂”と、その伝統を仕組みで守ろうとする3代目の“経営者魂”。群馬の製麺企業が世界の即席麺工場を支える挑戦は、まだ道半ばである。

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