「サッポロ一番」の製造ラインを作った

乱立状態だったために競争は激しく、フライヤーの相談をもちかけてきたメーカーも現在では即席ラーメンからは手を引いているという。古くからのつきあいが続いているところもあり、代表的なところでは群馬県にルーツをもつサンヨー食品で、ヒット商品「サッポロ一番」の製造ラインは製麺から袋詰めの工程まで、すべて冨士製作所が作ったものだ。

冨士製作所の工場入口。勝手口の上部には、社名とロゴマークが掲げられている
撮影=プレジデントオンライン編集部
冨士製作所の工場入口。勝手口の上部には、社名とロゴマークが掲げられている

いまでは即席ラーメン関連の仕事を引き受けていた多くの工場が消えた。そうしたなかで、冨士製作所は生き残り、成長を続けてきている。その大きな理由が、フライヤー開発と改良、それと技術者の熱量にある。

1963年に世界初となる即席麺ライン用コンベア式フライヤーの開発に成功し、即席ラーメン関連事業に事業の主軸を移していくなかで、1964年には冨士製作所に社名を変更する。そして、次々と即席麺プラント関連の新製品を生みだしていく。

「事業の拡大については、2代目、つまり私の父親が大きく貢献しています。工業高校を卒業して父親(創業者)の仕事を手伝うようになりますが、技術者というより“技術屋”と呼んだほうがふさわしい人です」

乾燥時間「1時間→2分」を実現

カップヌードルを日清食品の安藤百福が世界で初めて商品化したのは、1971年のことだった。しかし、袋麺が25円の時代に100円のカップヌードルは、高価すぎて売れ行きが芳しくなかった。転機は1972年に起きた連合赤軍が山荘に立て籠もって機動隊とぶつかった浅間山荘事件で、寒いなか機動隊員がカップヌードルを食べる姿がテレビニュースで流れて一気に火が付いた。

カップヌードルをはじめ、各社の手掛けるカップ麺の販売量が急激に伸びていく。当然ながら生産のためのプラントの需要も高まり、冨士製作所のカップ麺充填ラインの納入が増えていく。1993年ごろになると中国でカップ麺需要が急増し、冨士製作所は工場をフル稼働させて注文に応じていくことになる。

その後、健康志向の強まりから「ノンフライ麺」の需要が高まる。このトレンドに冨士製作所はいち早く対応した。1999年にはノンフライ麺を従来よりも圧倒的に早く乾燥させる高速乾燥機を開発する。

即席ラーメンは、もともと油で揚げることで保存性を高めたものだった。その油で揚げる工程の代わりに、熱風で麺を乾燥させたものがノンフライ麺で、1970年代になって登場してきた。冨士製作所も1977年にノンフライ即席そば製造装置を開発したが、業界的なインパクトが大きかったのが高速乾燥機だった。

冨士製作所が開発した高速乾燥機
提供=冨士製作所
冨士製作所が開発した高速乾燥機。圧倒的な乾燥速度を実現している

この製品は、より強い風を、より速く、より高温で麺に吹きつける。ただそれだけのことで、乾燥時間を劇的に短縮してしまったのである。櫻澤社長が説明する。

「10分くらいで乾燥させたい、という顧客の要望に応えるために開発した技術です。麺の太さや製品の特徴によって違ってきますが、いちばん早くやろうとすれば、2分か3分で乾燥させることもできます」