フェイク情報を見抜くのは企業の責任
地政学リテラシーには、もう一つの次元がある。情報の真偽を見極める力だ。
現代の地政学的競争は、軍事・経済だけでなく情報空間においても展開されている。中国・ロシアを中心とする国家主体が、意図的にフェイク情報を流通させ、相手国の世論・経営判断・政策形成を攪乱する。
「中国で大規模暴動が勃発」「トランプが日本企業を制裁対象に」「アメリカ政府が特定技術の輸出規制を決定」などといった虚偽情報が瞬時に拡散され、株価を動かし、サプライチェーンの意思決定を左右するといった事例はすでに起きている。
アメリカの先進企業はフェイク情報による損害を「メディアの問題」として外部要因にせず、「経営リスク」と捉えて自社の問題として定量評価する傾向が強まっている。情報工作の被害を保険数理的に算定し、インテリジェンス・リテラシーの高い人材を採用・育成するのは、今やリスク管理として当たり前のことになっている。
巧妙なフェイク情報を個人の資質で見抜くのは、今後ますます難しくなる。日本企業に求められるのは「メディア・リテラシー」という受け身の概念ではなく、情報の出所や意図を能動的に読み解く「インテリジェンス・リテラシー」である。
ニュースを使うだけではなく、ニュースを適正に評価する能力が経営力に組み込まれなければならない。
トヨタだけ「EVの波」に乗らなかった理由
日本にも、地政学的思考を経営判断に接続していた経営者がいた。故人だが、JR東海会長を務めた葛西敬之氏がその筆頭だろう。
葛西氏のリニア中央新幹線への執念は、単なる鉄道事業ではなかった。中国の膨張と日米同盟の変容を睨みながら、日本のインフラ技術を国家の抑止力として位置づける構想があった。対中・対米に関する発言の根底には「日本という国家の継承者としての責任」が一貫していた。
葛西氏には確固たる国家観があった。葛西氏の国家観は、イデオロギーからのものではなく、国鉄改革という修羅場を経た実務から生まれたものだった。
トヨタ会長の豊田章男氏も同様だ。世界の潮流がEV一辺倒に流れる中で、EVの「環境性」だけにとらわれることなく、「経済性」や「嗜好性」なども冷静に評価し、自らの哲学からそれに抗してマルチパスウェイ戦略を主張し続けた。それは、中国が電池とレアアースを握るという地政学的構造を見据えた上での判断だった。
そこにあったのは、単なる技術論ではない。電動化を急げば急ぐほど、日本の自動車産業が中国依存を深めるという逆説的状況を正面から受け止め、550万人の雇用を守るのに最も適切な方法を優先した。
これは地政学の思考と経営判断が一体になった実例だ。

