真珠婚式の微かな異変
やがて長男は大学を卒業し、商社に就職。実家を出て一人暮らしを始め、3年後に東京に転勤となった。
次男は公立養護学校高等部商業科を卒業後、2年間の自立訓練を受けて、障がい者枠で自動車部品開発会社に就職し、自宅でテレワーク。
三男は大学を卒業後、海運会社に就職。実家を出て一人暮らしを始めた。
木梨さんが52歳の頃、義父の会社の経営が厳しくなり、同業界の大手企業に吸収される。吸収後は親会社に移籍して、営業、輸出、品質管理、総合企画などを担当するようになった。
そして2014年。冒頭の事件が起こる。妻が婚約指輪を失くしてしまったのだ。
木梨さんは当初、“妻のうっかり”にイライラしたものの、すぐに「障害のある息子のために、30年近くも自分を犠牲にして尽くしてきてくれた妻へのご褒美として、十分すぎる価値がある」と思い直し、2つ目の婚約指輪をプレゼントした。
「その年、私たちはちょうど結婚30周年でした。真珠婚式というらしいのですが、失くした婚約指輪は、これからの人生を登っていくための約束の指輪。新しく買った指輪は、人生を下っていくための約束の指輪。失くしたのは物だけじゃなく、ゆっくりと変わっていく日常のかたちだったように思いました」
財布、鍵、定期券、スマホを紛失
この時、明るかった妻に微かな異変を感じていた木梨さんは、それが間違いではなかったことを噛み締めていく。
2016年。婚約指輪を失くしてからというもの、妻は財布、家の鍵、定期券、スマートフォンなど、いわゆる“貴重品”と呼ばれるものを失くすことが日常茶飯事になっていた。
必ず妻は「どこかで見なかった?」と木梨さんに尋ねるため、いつも一緒に探す羽目になる。もしかして、認知症ではないか。木梨さんは異変の積み重ねからそんな疑いを抱いていた。
「まだ妻は55歳。早いようにも思えましたが、一過性のものなら薬で改善するかもしれないし、医師から『大丈夫』と言ってもらえれば安心できます。そう妻に伝えて、受診することにしました」
できるだけ柔らかい声で、慎重に言葉を選んで受診を促すと、妻は自分でも症状に不安を抱えていたのか、素直に頷いた。

