まるでアニメかラノベのヒロインである

なお、掲載した「毎日電報」も感動したのか「天の使でも天降っったか」の部分は活字がほかの文字の倍近く大きい……。

自分で語った話で、天使だといい、その活字がデカい(まあ、ここは新聞社の都合だが)。しかも内容は「私たちが来たら患者が天使が降りてきたと喜んだ」である。自分で自分を天使と言っている。しかも一切の照れがない。

これを恥ずかしいと思わない神経が、和の最大の武器だったのかもしれない。しかも、病気で苦しんでいる患者までネタにして、自分の天使伝説を補強している。ほとんど、自分をアニメかライトノベルのヒロインかなんかと勘違いしている。しかも、そこまで思い込んでいて迷いがない。

おまけに、熱心なキリスト教徒だと宣言しておいて、自分が天使の類いなどと言い出すのはどうなのか。少なくとも、正教やカトリックならば異端の類い扱いで怒られるはずである。史実において、和に看護婦になるよう指導した牧師・吉江善作(原田泰造)のモチーフである植村正久は、いったいどんな教義を授けていたのか。

もう無茶苦茶すぎて、存在がマンガである。だから目が離せない。

大関和
大関和(写真=大関和著『実地看護法』新友館、大正15、国立国会図書館デジタルコレクション/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

全力で看護、祈り、布教する

ちなみに、この「毎日電報」で語っているのはすべて帝大病院での見習い期間での出来事だ。

見習いというと、まだ医師と人間関係を作ったり、あくまで謙虚に学ばせていただく期間……なんてものは、和には存在しない。とにかく全力で看護、それでも足りなければ祈る。祈るだけではない、布教する。

私共生徒、熱心の余り時には涙を流して神の愛を説き患者の足下にひれ伏して、其苦痛の少しでも薄らぐ様に、祈る事もしばしばでございましたが、それがため看護婦達に憎まれるのは勿論、時には医局からも看護と伝道とを混同してはいけないとの、ご注意を受けることさへございました(「毎日電報」1907年2月5日付)。

とても見習いではない。それまでの看護婦に「お前らのような正規教育も受けていない無学なヤツらとは違う」と肩で風を切って歩いている。

しかも、入院して弱っている患者の前で、泣きながら「神の愛」を説いて足元にひれ伏して祈りだす。もう、快方に向かっていても「いよいよ、お迎えが来たか……」という気分になりそうだ。

おまけに、それが単体ではなく、合計7人。これは看護婦ではなく「ハイスクール奇面組」だ。医局が注意するのも、当然である。