社会から軽んじられた時代、患者の扱いは乱暴…

いや、そこまで言わなくてもいいだろう。

「不具者でなくば不幸な境遇でよんどころなしに」。ようは、看護婦をやっている女性に、まともな人などいなかった=自分たちは違うといいきっているわけである。看護婦という職業を確立しようとしている当の本人が。しかも「到底口などでお話はできません」と言いながら、しっかり口でお話ししている。

まあ、言いたいことはわかる。当時の病院付き看護婦というのは、職業的訓練など皆無。患者の扱いも乱暴で、医師からも社会からも軽く見られていた。

それに対して、和は、自分は日本で初めて舶来の看護教育を受けたのだというプライドがある。それにしても、自分たち以前は、どうしようもない生まれ育ちで心も拗くれたヤツらがつく職業で、とんでもないヤツらしかいなかったとばかりに、完全に罵倒……正規の教育を受けたプライドと上級武家の生まれというプライドとが悪魔合体したような言いようである。

現代であれば炎上必至だが、明治であればこれが「おお! なんて開明的なすごい人だ‼」と受けたわけである。同じ日本で100年ちょっとの間に、ここまで価値観が変わるものかと驚く。

でも、この連載の最初のほうで、和はこう自慢している。

最初の入学生が七人あった中の私も一人でございます。其中今日も尚続いて看護婦をして居るのは私ばかりでございます。
大関和は前列・右から2人め。“日本最初の看護婦”と伝わる集合写真。
大関和は前列・右から2人め。“日本最初の看護婦”と伝わる集合写真。(写真=『植村正久と其の時代 第5巻』(1938年9月28日発行)/編者:佐波亘/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

「『天の使でも天降っったか』の様に喜んでくれまして」

……いや、和のスタイルが標準になったのについていけなくなって、残り6人はやめたのでは? と勘ぐってしまう。

和についていけなくて足を洗ったというのは決して邪推ではない。なにせ、この連載で和の語ることが凄まじすぎるのだ。

そんなエピソードの数々は、もう、どこから紹介すればいいのかわからない。読めば読むほど「この人、大丈夫か?」となるのに、なぜかどんどん好きになっていく。史実の人物でここまでの体験をするのは、久しぶりである。

和から目が離せなくなる最大の要素は、なんかの恋愛アニメのキャラクターかと思うくらいな疑いのない自分好きである。そもそもが、自分たち7人全員はキリスト教徒で「献身犠牲の心を持って、其道に入った」という。まあ、その決心はいい。問題は自分たちが、いざ病棟に入ってからのことである。

此迄鬼の様な慈悲も情も涙も無い看護婦に虐められて居た患者等は「天の使でも天降っったか」の様に喜んでくれまして、ある乳癌の患者などは、苦しい余りにせめて一晩でも好いから、大関さん泊って下さいと泣いて頼みます(「毎日電報」1907年2月1日付)。