“新しい生活”がもう一度やってきた

しかし、アヴォに来るようになってからは、誰もが驚くほど変わっていったという。「ここは、私の第二の家族!」と語るメンバーも多い。老いは、縮小ではなく発展。

新しい友人、新しい経験、新しい役割、新しい誇りが、人生の後半にもう一度やってくる。これは、これまでの日本社会の老いのイメージと、あまりにも対照的だ。日本では「高齢者」とひとまとめにされ、介護や医療といった文脈で語られがちだ。

だがアヴォの世界では、老いはクリエイティブで、ユーモアに溢れ、自律的で、そしてなにより“社会を肥沃ひよくにする力”として扱われる。

アヴォの活動を見ていると、「老いとは新しい才能が開く時期なのかもしれない」と思えてくる。経験という資源、時間という自由、他者への配慮、世代を超える視点。それらは若者には容易には真似できない。

また、このプロジェクトが示しているのは、老いの可能性だけではない。コミュニティが、人の人生後半にどれだけ寄与できるか、ということでもある。

アヴォのスタジオでは、誰かが遅れてやってくると「オラ、ボン・ディーア!(Olá! Bom dia!/やあ、おはよう!)」と、みんなが笑顔で迎え入れる。誕生日にはケーキが用意され、悲しい出来事があればみんなで話を聞く。

手を動かしながら日常や、些細なこと、さらには人生を語り合うことで、それぞれの記憶や感情が自然と解きほぐされていくのだろう。ここでは「役に立てる人間でなければならない」というプレッシャーからも解放される。

明るい表情が印象的なポルトガルの女性
明るい表情が印象的なポルトガルの女性。出典=乾祐綺『ポルトガル人のほどよい生きかた』(クロスメディア・パブリッシング)

誰かが待っていてくれる場所がある

社会とのつながりを回復したとき、人は驚くほど強くなる。

創造性は歳を取らないどころか、コミュニティという土壌があれば、老いはむしろ花を咲かせる方向へ進むという可能性も示唆している。

前出のスザナも「大事なのは活動自体であり、コミュニティ」と話す。

「私たちの目的は、仕事の成果ではなくて、仕事に行くという行動そのものにあります。朝起きて、ベッドから出て仕事に行かなくてはいけない、誰かが待っている、というそのこと自体なのです。

そして家から出て、実際に集まることがとても重要だと思っています。鬱と診断されて薬を飲んでいるおばあちゃんもたくさんいます。大切なのは、朝起きて、歯を磨いておしゃれして、行くべき場所がある、ということ。

ア・アヴォ・ヴェイウ・トラバリャルという団体名のとおり(「おばあちゃんが働きに来た」という意味)、働くために出かけることが大事。仕事は人生に価値を与えます。コミュニティの役に立っていると実感できることが大切なのです」