保護者会でぶつかる「正論vs.正論」
多くの小中学校で、新年度最初の保護者会が4月に行われる。担任教員からのあいさつや、学級運営方針、勉強の進め方と並んで、ほぼ必ず組み込まれているのが、クラスごとのPTA分担決めではないか。
各種イベント、学校公開(授業参観)時の受付、防犯や広報など、PTAの活動は多岐にわたる。小学校なら6年間、中学校なら3年間、子どもが在学しているうちに一度は係を受け持つ、といった(ローカル)ルールが、学校や地域ごとにある。
わが家では、妻が、このうちのひとつを引き受けたものの、その場で「保護者会に欠席している人が、これまでに担当していないことが多い。その人たちも出席する時に、あらためて決めるべきではないか」と意見が出されたそうで、ひとまず持ち越されたという。
このやりとりに、PTAをめぐる問題が集約されているのではないか。それは、公平性をめぐる意見の違いであり、言い換えれば、「正論」同士のぶつかりあいである。私自身、PTAの役員を務め、その経験をもとに、青弓社のウェブサイトでの連載「PTAのエスノグラフィー」を書いており、研究を進めている(※1)立場として、「ああ、変わらないな」と印象を深めた。
※1:「PTAの言説史・序説」(『現代社会研究』11巻、2025年)、「PTAの言説史 その始原と現在を照らし合わせて」(『現代社会研究』12巻、2026年)
関心があるのは「わが子の在学中」だけ
なぜ、変わらないのか。PTAへの関心は、子どもがいる間に限られるからである。なかには、子どもが学校から離れてもかかわる人はいる。2004年から「学校運営協議会」制度が始まり、「地域とともにある学校づくり」が進められている。私の住んでいる地域にも「コミュニティ・スクール」があり、学校に任せきりではない。
ただ、自分の子どもが卒業してしまうと、学校との距離は遠くなる。切迫感が薄まるのは当然だし、たとえ「学校運営協議会」や「コミュニティ・スクール」に参加したとしてもPTAとの関係は途切れる。
渦中にいる時は、PTAの分担は死活問題であり、自分の生活を大きく左右する。行事や打ち合わせへの参加、ベルマーク収集といった(細々とした)作業など、ただでさえ共働きと子育ての両立に腐心しているなかで、負担や重荷としてのしかかる。
反対に、ひとたび、自分の子どもが学校を卒業してしまえば、もう、PTAとつながりはない。終わってしまえば他人事であり、この記事のように「PTA」の3文字を目にしたとしても食指が動かない。いや、目に入らないのではないか。


