左翼運動に見切り
小川はクラスの代表「自治会代議員」に選出され、全共闘に参加。ノンセクトの闘士として活動を続けていたが、しばらくすると学生運動に限界を感じだした。研究者への道も闘争に明け暮れる中で見えなくなっていた。東大に入って3年目、小川は中退を決断した。
ゴリゴリの左翼活動家と化していた小川は東大をやめると、横浜の港湾作業会社で働きだした。荷物の積み下ろしに携わりながら、労働者を組織化しようというのだ。しかし、状況を知るにつれ、次第に幻滅を覚えるようになる。港湾関連の労働組合は国政政党を支える下部組織になっていて、小川が考える革命とはほど遠いものだった。
左翼運動に見切りをつけ、通信講座を受け始めた。東大の後輩の女性と結婚し、出産を間近に控えていた。生活費を稼ぐ必要に迫られ、中小企業診断士の資格を取ることにしたのだ。そんな時たまたま、新聞で吉野家の求人広告を目にした。
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