「9条カード」を捨ててしまった
しかし、第2次安倍政権は安保関連法制で日本側の集団的自衛権行使を解禁し、自衛隊派遣範囲の地理的限定さえ取り払った。すなわち、日本以外の他国と米国との軍事紛争における米国への軍事協力を可能にしたことで、この「保守の悲しい知恵」ですら捨て去ってしまったのである。
しかも、見返りに日本有事の際の米軍の出動に関し具体的なコミットメントを米国から取り付けることすらなかった(日米安保条約5条は自動執行性がなく、米国は米軍の参戦を、自国憲法を根拠に拒否する可能性を留保している)。
私は第2次安倍政権のこの対応は日本の政治的自立性を示すどころか、米国に対する根拠なき「見捨てられ不安」に基づく愚策であると批判した(拙著『憲法の涙』毎日新聞出版、2016年、第4章など参照)。
前編で指摘したように、集団的自衛権行使解禁は米国が日本に求めてきたもので、日本がそれに踏み切ったことを米国は大歓迎した。米国政府は、第2次トランプ政権も含めて、日本の歴代保守政権が「保守の悲しい知恵」により使ってきた「9条カード」を第2次安倍政権が捨ててくれたたことをよく知っている。
9条問題の正面解決から逃げるな
さらに、安倍政権による集団的自衛権解禁を支持する高市は、首相になった後、台湾有事問題で、米国ですら保持している「戦略的曖昧性」を捨て去って、台湾海上封鎖の際に「存立危機事態」認定をして自衛隊を出動させるという「元気な発言」をしたが、これはごく最近の話であって、トランプもこのことを覚えていないはずがない。
イラン情勢の展開は予測不可能であり、トランプの日本への要請がどうなるかも予測不可能だ。日本が「9条の制約」を根拠に米国の軍事協力要請圧力をかわせないことは、先述したように、高市首相自身がよく知っているはずである。それが分からないのなら首相を務める資格はない。
同じ旧敗戦国であるドイツやイタリアですら、米国のイラン侵攻への軍事協力、特に侵攻のための自国内米軍基地使用を拒否しているにもかかわらず、日本がイラン侵攻に対してこのような毅然たる態度をとれず米国の軍事的属国と化しているのは、直接には日米地位協定と関わるが、ドイツもイタリアも米国との二国間協定で自国内米軍基地に対する統制権を確保しているにもかかわらず、日本がこの属国的な地位協定を変えられない根本的理由は憲法9条にある。
憲法9条により、自衛隊が「日陰者・半人前の軍隊」にされているだけでなく、憲法的・法的に統制されないため、暴発をコントロールできない銃のように「危なすぎて使えない軍隊」となっている。この事態が放置されてきたのは、「いざとなったら米国が守ってくれるから、自衛隊を憲法上曖昧な存在にしたままでも大丈夫」という甘えがあったからである。この米国依存症的甘えが、米国への軍事的追従を生みだしている。「護憲派」の中には「9条固持して、地位協定だけ変えろ」と主張する者もいるが、倒錯も甚だしい。9条があるからこそ、属国的な日米地位協定を日本政府は変えることができないのである。
それなのに、立憲主義的に統制された主体的な安全保障体制を日本が確立するために必要なまともな9条改正に向けた政治的プロセスを高市首相が推進しようとしないのは、一体なぜか。「9条の制約が米国の圧力に対するカードとして有効だ」などという9条礼賛論者の愚劣な誤解のおかげで、「トランプの圧力をうまく切り抜けた」という誤解が保守層にまで広がっており、その結果、高市の高支持率が維持されている。高市はこの状況を利用して、9条改正を検討しているふりだけして先送りし続けるのが自己の権力基盤を維持する上で得策だと考えているのか?
もしそうだとしたら、米国が「ならず者超大国(a Rogue Superpower)」と化し、世界秩序を安定化させるどころか、根底から攪乱し、日本の軍事的・経済的安全保障環境も緊迫化させているこの危機的状況において、日本の国益を守り、公正な世界秩序形成への日本の貢献力を高める責任を担う首相を務める資格は高市にはない。
「高市はトランプ会談で中東への自衛隊出動を約束したかったが、周囲がそれをさせなかったので、辞意を一時漏らした」との噂も流れているようである。この噂は、真偽は別として、根本的に的外れである。高市が辞任すべきだとしたら、その理由は、欧州各国首脳のように、「これは日本の戦争ではないから自衛隊は出動させられない」ときっぱり拒否できなかったこと、そしてその原因である9条問題の抜本的解決をさぼっていることにある。
高市早苗よ、ホワイトハウスで口を開けて踊る愛嬌ある姿でトランプ政権を喜ばせている場合ではないことを知り給え。
「日本列島を、強く豊かに」する真正保守の政治家としての自負が本当に高市にあるのなら、日本がマッカーサー元帥に言われた「精神年齢12歳の少年」から、米国と対等に渡り合える大人に成熟するために必要不可欠な9条問題の抜本的解決という課題に、いまこそ政治生命をかけて立ち向かうときである。


