高市首相は「なりすまし護憲派」に化けるつもりなのか
3月11日にプレジデントオンラインに公開した前掲拙稿で、憲法9条改正問題に対する高市首相のヌエ的姿勢を私は批判した。
およそ20年前には、高市首相は自身のブログで立憲主義的人権保障を骨抜きにするような危険な国家緊急事態宣言制度と抱き合わせになった愚劣で危険な9条改正案を提唱していた。
それにもかかわらず、本年2月の抜き打ち解散総選挙では、憲法9条を変えるのか変えないのか、9条2項温存して自衛隊明記するという、全く問題の解決になっていない安倍加憲案に追随する現在の自民党の「改憲モドキ案」を維持するのか、それを超えて9条2項明文改正に進むのか、明文改正するとすればどう改正するつもりなのかについて、何ら触れず、選挙を、政策論争を棚上げした「サナエ人気投票」にすり替えて、自民党を大勝させた。
しかし、自民党大勝で憲法改正が現実的な政治的射程に入った今も、高市首相は9条改正問題について具体的な論議をプッシュしていない。
それどころか高市首相は「イラン侵攻への米国の軍事協力要請に対する歯止めとして9条が効いている」という愚かな9条礼賛論者の誤解・願望思考を利用して、「トランプ会談をうまく切り抜けた」というイメージ操作をし、自らへの世論の支持を維持しようとしているのではないかと疑わせる。
若かりし高市は「愚劣で危険な改憲派」、解散総選挙前後の高市は「9条改正モドキ案を正す気のない似非改憲派」だったが、いまや高市は「護憲派」やそのシンパの誤解にすり寄る「なりすまし護憲派」に化けようとしているかに私には見える。
9条カードは「保守の悲しい知恵」
米国の圧力に対し、まともに政治的交渉で立ち向かえないので9条を利用するというのは、第2次安倍政権以前の歴代保守政権が活用した方便だった。
米国が占領期に日本を非武装化する憲法9条を押し付けながら、朝鮮戦争後は日本再軍備に方針転換し、国際情勢の緊迫化の度ごとに軍拡要請をしてきたのに対し、吉田茂以降、歴代保守政権は解釈改憲で応じてきた。
だが、米国から実際に軍事協力を求められるたび、「専守防衛・個別的自衛権の枠だけは超えられない、これは米国が押し付けた憲法9条の限界であって、そこは理解してほしい」と懇願して切り抜けてきたのである。
私はこれを「保守の悲しい知恵」と呼んでいる。「悲しい」のは「属国」が「属国」の立場で必死に「宗主国」に懇願しているかのような姿を感じてしまうからだ。ただ、それでも、米国からの集団的自衛権行使解禁圧力を撥ねつけてきた点では、それは一つの政治的な「知恵」だった。

