「劉少奇こそ中国のフルシチョフだ」

文化大革命の只中である1967年1月、清華大学井崗山せいこうざん兵団が3冊からなる『打倒劉少奇』『砲打劉少奇』を作成し、以後の全国的な劉批判の基本教材となった。党中央の機密档案を渉猟した年譜・罪状は非常に精密である。

この資料は政府が意図的に、学生に機密文書を漏らした結果である。学生が機密資料をもとに、罪状を編み出したのである。当時の中国で、部外者が公文書など見られるはずがない。現在でも見られない。

意図的なリークであることは明らかだった。公安部長の謝富治がリークし、清華大学という名門大学の学生を利用したのである。学生たちは、利用されていると気づいていなかった。

『打倒劉少奇』『砲打劉少奇』はこう断じている。

「劉少奇こそ中国のフルシチョフだ。最大の罪は土地改革中に中農の利益を害し、人を殺しすぎたこと。『桃園経験』ではルンペンを重用し、革命的幹部を迫害した」

1967年9月6日の『解放軍報』社説は糾弾した。

「『桃園経験』は嘘だ。四清運動の偽りの経験である。党内最大の資本主義の実権派による反動的資本主義路線の実践だ。資本主義を復活させようとした活動だ。劉少奇は最大の修正主義で中国のフルシチョフだ」

ここに文化大革命最大のターゲットが明確化した。

幹部たちが動かないから、毛は未熟な学生たちを動員した。紅衛兵である。日本の全共闘は自発的に日米安保反対を掲げ、岸信介らは学生を利用しようとは考えなかった。

ところが中国の場合とことん青年学生を利用する。若き学生たちも、事が済んだら「お前ら、農山村に行け」と下放かほう運動で捨てられる。膨大な数の学生が使い捨てにされたのである。

加害者は被害者に、被害者は加害者に。郷紳階級の粛清で伝統社会は破壊され、誰もが加害者であり、被害者になっていった。過去の王朝交替時に起こらなかった革命である。

台湾は文化大革命の真相を知っていた

日本のメディアや知識人が実態を知らずに文化大革命を好意的に論じたのとは対照的に、台湾の人たちは当時から、文化大革命の真相についてよく知っていた。複数のルートで正確な情報が入っていたからである。

実際、台湾のスパイが中国の奥地まで入っていた。沿岸地に船に乗って入ってくるし、金門島から潜ってくるし、香港からも入国してきた。共産党軍が大陸を占領した直後で、まだ台湾人が入ってきてもばれなかった。

国民党の敗残兵が来るルートも分かっていた。残っていたスパイたちが打電していたのである。1970年代まで続いた。

さらに中国のラジオ放送をキチして記録し、『人民日報』も入手していた。自分たちの諜報活動と公的情報を合わせて分析していたのである。

台湾の国防研究所が出した文化大革命に関する同時代の報告書は、きわめて正確である。将来の予想もほぼ当たっていた。台湾のインテリジェンスは命懸けなので、精度が高い。

台湾の家族と連絡を取れば、反革命分子と見破られて処罰される。反革命分子鎮圧運動でも見つからなかったことは、台湾国防省の報告書『匪情月報』や『匪情研究』などを読めば分かる。