正規の職がないまま母の介護で実家へ
また、ある43歳の女性は、氷河期世代の中でも最も就職率が低かったとされる2002年に正規の職についた。同族経営の中小企業の事務職でそれほど待遇が良いわけでもなかったが、働ける場所があることが嬉しかった。
しかし、数年勤めた頃、その会社が不況のあおりを受けて倒産した。慌てて求職活動をしたが、キャリアも資格もなく、中途で採用してくれるところはなかなか見つからなかった。つなぎにと始めた販売や飲食の仕事を掛け持ちする日々が続いた。
転居もたびたび経験した。低家賃にこだわってシェアハウスにも暮らしたことがある。狭く、不衛生で、騒音に耐えられず数カ月で退去した。また、保証金不要の1Kのアパートにも住んだことがある。「ある日の夜、全然知らない人が訪ねてきて、ドンドンとドアを叩くんです。きっと間違えているんだろうけど、怖くて」と、防犯性の低い住宅に女性が一人で暮らす怖さを経験したという。
派遣会社に登録し、正社員への道を模索していたころ、地方に住まう母が要介護状態となった。一切の家事ができない父が、低賃金で働くくらいなら地元に戻って介護をしてくれと、頭を下げてきた。母が不憫なこともあり、実家に戻り、母の介護に専念した。介護と両立できる仕事はアルバイトしかなかった。兄や弟には、そんな要求をしなかったのに――「女性だから貧乏くじを引いたのかな」と悔しがっていた。
住む場所を失っても受けられる支援なし
55歳の女性は、20代の頃に実家から出奔して、寮完備の仕事に就いた。低家賃で住めるうえ、家電なども設備されているため、身軽に動けることをメリットと感じていた。「保証人がいないので賃貸は無理」と考えていたため、転職の際の最優先条件は「寮があること」だった。手取りは多いときで20万円弱、低家賃なので貯蓄もできた。
数年前、貧血やだるさの症状が続き受診したところ、悪性腫瘍が見つかった。軽い手術だろうと、休暇をとって入院した。予後が芳しくなく、職場に事情を申し出て、退職を願い出たとたんに、社員寮からの退去を求められた。次の住まいを探そうと不動産会社へ出向いたが、失業し体調不良とあって、よい物件には巡り合えなかった。
行政にも相談に行ったが、余貯蓄があるから生活保護の受給は難しいと言われただけで、住宅は紹介してもらえなかった。ここからどれだけ医療費がかかるか先行きが不透明な中で、貯蓄が尽きれば「支援できる」と言われたことに、不信感が募った。
「福祉の制度って、低所得の人しか対応しないんですね。住宅を失うということに対しては制度がないって言われて。自分でなんとかしてくださいって」と振り返る。


