叱らない上司を優しいと勘違いしている
最近は、褒めて伸ばす教育が主流になっているようですが、これには良い面がある一方で逆境に弱く、自らの力で困難を乗り越えられない子供に育つ危険も、多いように見うけられます。現代の子供は、とくに心が折れやすい傾向にあります。
先生や親が、子供に一生寄り添いつづけられるならば、それはそれで構わないかもしれませんが、寿命を考えればそれは土台無理な話。
したがって、子供自身が一人で生きていく力を、身につけさせることが重要になってきます。が、これがなかなか上手くいきません。
このもどかしさは、会社組織における上司と部下の関係にも当てはまります。
昨今は部下を叱ると、すぐに「パワハラだ」と批判される風潮があるため、それを恐れて部下を叱ることができない上司が増えているようです。
叱らない上司のことを「優しい」と勘違いしている部下の方もいるようですが、実際は事なかれ主義の無責任な上司かもしれません。もしそうであれば、結果として、仕事のできない人が中途半端に増えるはずです。部下の方は、実は自分が損をしている、という本質を見誤らないようにしてほしいものです。
ちなみに、あの織田信長も禅僧を師として仰いだ一人でした。信長は、臨済宗妙心寺派の禅僧である沢彦宗恩から教えを受けました。
沢彦は信長の名付け親であり、「天下を取るめでたい名前」として「信長」という諱な(貴人の実名)を選びました。
信長の代名詞「天下布武」の印文は師が考案
また、信長が隣国美濃を併合したおり、稲葉山城下を「岐阜」と改名したのも、沢彦の進言によるものでした。信長の代名詞として知られる「天下布武」の印文も、考案したのは沢彦です。天下取りに挑む信長に対して、攻められる大名は自分の領地を守るために抵抗します。
そこで沢彦は、「天下に武を布く」、すなわち「京の都に旗を立てる――乱世に武家政権の権威を取り戻し、平穏の世を創る」という標語を考え出し、信長に提案したのです。
このような大義名分があれば、他の大名たちもその志に共感しやすくなるに違いありません。
信長は、沢彦のことを師匠として深く敬っていました。
比叡山延暦寺などの中世宗教勢力には、強烈な弾圧を加えた信長ですが、沢彦が属する臨済宗などの禅宗に関しては手厚く保護をおこなっています。
天下人を目指す信長にとっても、師匠という存在は大切なものであった、との証だといえるかもしれませんね。


