可能性に気づくことができた虎哉の言葉
しかし父親の輝宗は、政宗に才能の片鱗を感じていました。輝宗はわが子を立派な跡継ぎに育てるため、わざわざ他国から名高い禅僧の虎哉宗乙を招き、息子に最高の教育を施します。
虎哉は政宗に対し、儒教の“四書五経”や仏教の『般若心経』を読ませたり、和歌の嗜みを教えたりしました。
父である輝宗の願いは、教養を身につけさせることだけではなく、政宗に自信を取り戻してもらうことにありました。
そのため虎哉は、政宗に自信をつけさせる教育もおこないましたが、決してチヤホヤと接するのではなく、その指導には厳しさが常にともないました。
虎哉は、「今のままなら、あなたは伊達家から廃嫡されるかもしれない。そんなウジウジしたあなたを、誰が当主として仰ぎたいと思うか」とズバリ指摘したのです。
幼い政宗はその言葉に驚きますが、虎哉はつづけて「もしあなたが変わりたいと望むのであれば、拙僧がいくらでも力をお貸ししましょう。伊達家の当主にふさわしい人物に、なりたくありませんか?」と寄り添う言葉もかけました。
人格者である虎哉の、厳しさの中にも愛情のある指導によって、政宗は次第に心を開いていきます。
乱世の真っ只中、伊達家を背負う立場である以上、強く成長しなければ困ると政宗本人も心の中では思っていたため、虎哉の言葉によって徐々に自分の可能性に気づくことができたのです。
徳川家光から気に入られた理由
厳しい学びをくり返した結果、伊達政宗は戦国屈指の大名へと成長しました。
政宗は天下取りの終盤に成人したため、「遅れてきた戦国武将」とも呼ばれますが、彼は新しい時代に適応した人物でもありました。なによりも、その持つ教養の高さ――時代は文字に暗くとも困らなかった戦国乱世から、秩序が重んじられる文治(ぶんじ、とも)の世の中となったのですから。
泰平の世となった江戸時代になっても、政宗は3代将軍の徳川家光から気に入られていました。それは、政宗に深い教養があったからです。
下剋上で成り上がってきた戦国大名の多くは、合戦に明け暮れ、勉強する時間を持てませんでした。しかし、政宗には虎哉との勉強が基本にあり、政宗は大人になっても学びを楽しくつづけ、気がつけば高い教養を身につけていたのです。
もし政宗が武力一辺倒の荒くれ大名であれば、幕府から危険視されて、滅ぼされていたかもしれません。
政宗は生涯、師である虎哉の教えに導かれていたといえるでしょう。

