部下のことは最後まで信じて任せることが大切

藤堂高虎の諜報ちょうほう活動は、徳川幕府二代将軍・秀忠ひでただの時代にも重宝されました。

秀忠は、自身の娘である和子かずこ入内じゅだいに際して「まさこ」とする)を後水ごみず天皇と結婚させるための根回しを、高虎に依頼したのです。

当時は武家の娘が天皇家に輿入こしいれするのは異例なことであり、平清盛たいらのきよもり以来、二度目の出来事となりました。

高虎はこの難しい朝廷工作を引き受け、婚姻に反対する公家を忍びに調べさせ、彼らを一掃したのです。

やがて老齢となった高虎は、顧問格で江戸城に出仕し、高虎を師と仰ぐ秀忠に対して、部下は信頼して使うべきであり、一度使ったならば、最後まで任せ切るのが人使いの要諦である、と教えました。

この言葉は、高虎が若き日に主君であり、師匠であった豊臣秀長から教わった帝王学そのものであったように思います。

高虎はなぜ、秀長という師匠から、素直に学ぶ気持ちを持ちつづけることができたのでしょうか。

加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)
加来耕三『歴史の一流は「師匠」から何を学んだのか』(クロスメディア・パブリッシング)

その背景には、十代の頃に実の父や兄から受けた言葉がありました。父や兄はくり返し、高虎の槍の腕前を称賛しつつも、学問がないことを惜しみ、学問さえあればお前は、どれほどの武将になれるだろうか……、と事ある毎に嘆き、諭したのでした。

ほどなくして父はこの世を去り、兄は戦死してしまいますが、二人の言葉は高虎の胸に深く刻まれました。常に心の何処かで、機会があれば勉強しなければならない、このままでは終われない、という問題意識を彼はいだきつづけていたのです。

だからこそ、秀長と出会って高禄を提示されたときに、この人こそがわが師匠として、自らを導いてくれる、と信じることができ、無心で学ぶことができたのでしょう。

自分はどうなりたいのかを教えてくれる存在こそが、まさしく真の師匠です。師匠の指導によって知らなかったことを知り、人は新しい自分に出会えるのです。

【関連記事】
石田三成と戦っていないのに関ヶ原合戦後に大出世…徳川家康が厚い信頼を置いた「戦国最大の悪人」
"ヨボヨボ化"を進めるのはラーメンでもパスタでもない…血管・歯・腎臓を同時に壊す「最悪の麺」の正体
「秀吉と一緒になるのがイヤ」ではない…お市の方が柴田勝家との自害を選んだ"現代人には理解できない"理由
仕事のデキない人ほどこの髪形をしている…相手から全く信頼されない「ビジネスで一発アウト」ヘアスタイル3選【2025年9月BEST】
「労働時間が長くて家事・育児ができない」は大ウソ…最新調査でわかった日本の男性が家事をしない本当の理由