防空壕に逃げ込んだ私はなぜ親米になったのか

2026年3月19日の高市早苗首相とドナルド・トランプ大統領との日米首脳会談の様子を伝える報道の中には、言葉では大統領を礼賛する首相も、身振りからは否定的なメッセージを送っているとの解釈をするものがあった。例えば大統領が真珠湾のことを話題にしたときの対応、あるいはたびたび腕時計を見たり、通訳の内容を確かめたりするしぐさがその例である。現在のようにひっ迫した国際情勢の下では、首脳間ではもちろんのこと、日本人と米国人の間のコミュニケーションはお互いに微妙な形をとる。ここで私も一生を振り返り、自分とアメリカのかかわりを語りたい。

ドナルド・トランプ米大統領(右)との会談中、腕時計を見る高市早苗首相。
ドナルド・トランプ米大統領(右)との会談中、腕時計を見る高市早苗首相。

私は、第二次世界大戦中に埼玉県熊谷市の郊外で育った。父が熊谷市の女子高校に転勤したので、戦禍と先行き不安の下、両親は畑の中の家を借りて疎開同様に子供を育てた。私にとっては、きれいな自然の中で北原白秋や野口雨情などの詩に童謡を作曲する趣味が育まれる場所にもなった。母は食糧難を補うために畑の一画を借りて野菜作りを始めた。あるとき米機B29が、一人で農作業をしていた母の頭上を旋回していった。「ほんとうにこわかった」と母は語っていた。

幸いそのときは偵察活動で済んだのであろう。しかし、第二次大戦が終わったはずの昭和20年8月15日に熊谷市は大空襲を受け、私たちは防空壕に駆け込んだ。焼夷弾の爆発で級友の一人が怪我をし、私も見舞いに行ったが間もなく亡くなった。そして日本はアメリカの占領下となった。そのころ小学生だった私にも、それまで軍国主義の教育を行っていた教師が、米国占領軍の掲げる平和主義の教育に悩みながらも良心的に対応していく姿が印象に残った。

(写真=時事通信フォト)
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