関ヶ原合戦以前に建っていた松本城
いよいよ最古の2つである。どちらが古いか、いまだ決着はついていないのだが、2番目に古いのが松本城(長野県松本市)としておく。内堀越しに眺めると、左に乾小天守、右に辰巳附櫓と月見櫓を従える漆黒の五重天守は、翼を広げた鳥のようにダイナミックで美しい。
先ごろ松本市が建築木材の年輪年代調査を行ったところ、大天守と乾小天守、辰巳櫓は文禄3年(1594)から慶長2年(1597)ごろに建てられ、月見櫓のみが寛永3年(1626)ごろに増築されたことがわかった。大天守の建築年代を慶長20年(1615)ごろとする向きもあったが、これで関ヶ原合戦以前の建築であることは確定した。
これで、もう1つしか残っていない。犬山城(愛知県犬山市)である。二重の大入母屋の上に小さな望楼を載せた三重天守で、スタイルが古風であるがゆえに、建築年代はさまざまに取り沙汰されてきた。それが令和3年(2021)、木材の伐採時期を年輪年代法で測定した結果、天正13~18年(1585~90年)ごろに築かれたことがわかった、と発表されたのだ。
ところが、広島大学名誉教授の三浦正幸氏はその後、その時期に伐採された木材を使って美濃金山城(岐阜県可児市)に建てられた天守が、慶長6年(1601)に犬山に移築されたという見解を発表した。オリジナルは犬山城のほうが古いが、仮に移築されたのなら、犬山城の天守として建ったのは。松本城より少し新しいことになる。だが、その辺りは誤差ともいえる。
もし次に国宝になるなら「この城」
いずれにせよ、国宝5城は重文7城よりあきらかに歴史があるのだ。しかも、重文7城は城の衰退期に建ったのに対し、国宝5城は大坂の陣以前、すなわち事実上の戦国時代に建てられた。そのことは天守の規模にも表れている。5城と7城の間には、大きな開きがある。
昭和20年まで残っていた名古屋城、岡山城、広島城、福山城の天守が、戦災に遭わずに残っていたら、まちがいなく国宝になっていただろう。名古屋城は徳川家康が建てた史上最大規模の天守で、岡山城は宇喜多秀家、広島城は毛利輝元という大大名が建てた関ヶ原以前の華麗な天守だった。
福山城天守は元和8年(1622)の建築だから大坂の陣以後だ。しかし、この城は西国の大名に目を光らせる目的で築かれた最後の大規模城郭で、高さ26メートル余りの天守も逓減率が市場もっとも低い最新鋭の建築だった。そして、焼失したこれら4天守はいずれも5重だった。
大大名が築いた大城郭がある都市は、空襲の標的になりやすかったから、これらの天守も失われた。一方、比較的小さな町の小ぶりの天守は、空襲には遭いにくかった。残された天守のなかでは姫路城は別格だが、残りの国宝4城も、歴史を見れば国宝の価値がある。今後、重文7城のどれかが国宝に指定されるとしたら、初期の天守の形態をよく伝え、本丸全体が残っている高知城だろうか。



