国宝5城と重文7城の違い

ここまでの7天守はすべて国の重要文化財にとどまる(重文7城)。それらの最大の共通点は、慶長20年(1615)の大坂夏の陣で豊臣氏が滅んで以降に建てられたことだ。すなわち、武家諸法度で城の修理さえ厳しく監視される平和な時代の産物で、戦国末期から急速に進化した築城技術が停滞してから誕生した。

また、弘前城と丸亀城は、江戸時代には天守と名乗れなかった。備中松山城と丸岡城はともに二重とかなりの小ぶりで、片や倒壊寸前まで放置され、片や地震で倒壊している。四重以上は高知城だけだ。

では、国宝5城は上記の重文7城とどう違うのか、以下に見ていきたい。5つのなかでもっとも新しいのは、ほかの4城に遅れて平成27年(2017)に国宝になった松江城(島根県松江市)の四重天守である。

2016年4月5日、松江城
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国宝指定のきっかけは、天守地階の柱に打ち付けた祈祷札の発見だった。そこには「慶長拾六年」「正月吉祥」と書かれており、慶長12年(1607)ごろに工事が開始され、同15年(1610)末までに完成し、翌年正月に完成祝いの祈祷が行われたとわかった。要は、「じつは新しかった」という可能性がなくなったため、国宝になれたのだ。

慶長15年といえば、戦災で焼失した名古屋城天守より2年近く古い。徳川家康が大坂城包囲網を整備中で、ふたたび戦乱の世がくると信じられていた時代だ。松江城天守も地階からして多くの狭間が開けられるなど防御が徹底し、地階には籠城用の井戸まである。

しかも現存12天守のなかで、1階の床面積が姫路城に次ぐ2番目、高さは姫路城、松本城に次ぐ3番目という堂々たる規模である。

知られざる彦根城のかつての姿

次に新しいのは世界遺産でもある姫路城(兵庫県姫路市)だ。羽柴秀吉が築いた城を、関ヶ原合戦後に入封した池田輝政が大幅に改修し、天守は慶長14年(1609)、すなわち松江城の1年ほど前に完成した。狭小な姫山の山上に口の字型の天守台を築き、四隅には五重の大天守と三重の小天守3棟を置き、二重の渡櫓で結んだ連立式天守の美しさは、いまさら強調するまでもないだろう。

2019年4月13日、桜と姫路城
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現存12天守のうち五重なのは姫路城のほかには松本城だけ。姫路城大天守の高さは31.5メートルと、12天守中で最大規模を誇っている。

国宝5城で3番目に新しいのは彦根城(滋賀県彦根市)の三重天守だ。この井伊家の居城は大坂城包囲網の一環として、慶長9年(1604)から諸大名に工事を負担させる天下普請で築かれた。天守は2年後の慶長11~12年(1606~1607)に完成したと考えられている。

ただし、オリジナルの建築はもっと古い。関ヶ原合戦で西軍に攻められても焼け落ちなかった大津城(滋賀県大津市)の天守を、家康が「めでたい」といって彦根に運ばせ、四重か五重だったのを三重三階に縮めたというのだ。だから、とくに南北から見ると、上部を切り詰めたようなどっしりした構えをしている。