女優や参院議員として活躍した山口淑子さんは戦時中、中国人女優「李香蘭」として名を馳せた。終戦後、漢奸(売国奴)の疑いで中国の軍事裁判にかけられたが、日本人であることが証明され、無罪を勝ち取った。自伝より、数奇な人生の一場面を紹介する――。

※本稿は、山口淑子・藤原作弥『李香蘭 私の半生』(朝日文庫)の一部を再編集したものです。

中国と日本2つのフラグ
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国籍を証明すれば無罪を勝ち取れる

軍事裁判を待っているあいだ、二人の珍客の訪問を受けた。

一人は親友のリューバである。収容所に入って以来音沙汰はなかったが、やはり彼女は私の身を案じてくれていたのだった。彼女の祖国ソ連は戦勝国、しかも彼女は上海総領事館勤務だったので外交特権で収容所に自由に出入りできたのだけれど、私に迷惑がかかることをおそれ、しばらくは面会を遠慮していたのだという。

共産主義者の彼女と親友であることが中国側に知れると、事が複雑になり、私の立場が不利になるかもしれないと、秘かに取調べの模様を探っていたらしい。そして私のスパイ容疑がほぼ晴れたことを確認してから面会の手つづきをとったのである。

「ヨシコチャン、あとはあなたが日本人であることをはっきりと証明できさえすれば無罪釈放よ。国籍を証明するとか身分証明書とか、何かオーソライズされたドキュメント(書類)はないのかしら。私にできることはない?」

日本人の両親から生まれた日本人なのに…

私がリューバとはじめて知りあったのは撫順ぶじゅんの小学校時代だった。彼女の住む奉天に移ってからは毎日のように会い、私の家に何度も遊びに来たことがあり、私が日本人の山口文雄・アイの長女であることを知っている。李香蘭という名前は李際春将軍からもらった中国名で、それを芸名に転用したといういきさつも知っている。

けれどそのリューバが「私の親友、山口淑子は、日本人です」と証言したからといって、誰が信用するだろうか。

そのとき話を聞いていた川喜多長政氏(東宝東和株式会社会長)が眼を輝かせて言った。「北京の両親の許もとには、日本の役場から取りよせた戸籍謄本があるだろう」

満州や中国に移住した日本人は、日本国籍を証明するための戸籍謄本を何通か所持しているのが常だった。