判決前日、裁判長から伝えられた“内示”

2月中旬、私は軍事裁判所の法廷に召喚された。この日も川喜多さんがつきそってくれた。これまでに取調べは何度か受けたけれど、裁判官の居ならぶ法廷の被告席にすわるのははじめてだった。法廷は軍政部の一室で、私たちの前の小高い机には10人ぐらいの軍服姿や私服姿の係官が横にならんでいた。

山口淑子・藤原作弥『李香蘭 私の半生』(朝日文庫)
山口淑子・藤原作弥『李香蘭 私の半生』(朝日文庫)

雰囲気はいかめしかったが、気が軽かった。前日、裁判長の葉徳貴ようとくきさんから川喜多さんに連絡があって「明日ですべてが終わりますよ」というニュアンスの“内示”があったからである。裁判の形式をとるのは正式手続きを踏んだ法廷記録を残すためで、いずれにせよ、私の日本国籍が証明され漢奸容疑が完全に晴れた旨、判決を下すセレモニーが必要だったのである。

葉裁判長の軍服姿には威厳があったけれど、私たちは何度か会っていて、彼が気持の優しい人物なのを知っていた。一方、葉さんも上海の中国人社会の要人たちから川喜多長政なる人物の評判を聞いて、信頼をよせるまでになっていた。

無罪判決でも、法廷で謝罪した理由

書記官が、これまでの取調べについて説明し、戸籍謄本とその信憑しんぴょう性に関して報告した。これを受けて裁判長が「これで漢奸の容疑は晴れた。無罪」と宣言して、小さな木槌をトンと打った。それから「ただし全然、問題がなかったわけではない」とつけ加えた。

「この裁判の目的は、中国人でありながら中国を裏切った漢奸罪を裁くことにあるのだから、日本国籍を完全に立証したあなたは無罪だ。しかし、一つだけ倫理上、道義上の問題が残っている。それは、中国人の芸名で『支那の夜』など一連の映画に出演したことだ。法律上、漢奸裁判には関係ないが、遺憾なことだと本法廷は考える」

「支那の夜」ポスター
写真=Wikimedia Commons
「支那の夜」ポスター(作者不詳/PD-1996/Wikimedia Commons

私は「裁判長」と発言を求め、一連の映画の企画、製作、脚本についてまで私が責任を持つことはできないけれど、出演したのは事実であると述べ、「若かったとはいえ、考えが愚かだったことを認めます。申しわけなく思っております」と陳述した。

葉さんは、大きくうなずいた。

「さっそく国外退去の手続きをとる」

こうして無罪、追放、帰国と、事態はとんとん拍子で進んだのである。

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