早稲田大の年俸は8000万円相当
そして翌年の春には早稲田大学で英文学を講義することが決まり、1週間に4時間教壇に立ち、年俸2000円(編集部註:現在の人件費の価値で8000万円ほど)という条件で契約をしました。
坪内逍遥や大隈重信とも面会し、ハーンの新しい職場での人間関係も良好に進んでいた9月19日、突然心臓の発作に襲われます。それから、わずか1週間でこの世を去ることになります。
死の直前のハーンの様子は、セツ夫人の「思い出の記」に詳しく描かれています。まず、最初の発作の時、ハーンは次のようにいい残しました。
「この痛みも、もう大きいの、参りますならば、多分私、死にましょう。そのあとで、私死にますとも、泣く、決していけません。小さい瓶買いましょう。三銭あるいは四銭くらい(編集部註:現在の物価で900~1200円相当)のです。私の骨入れるのために。そして田舎の淋しい小寺に埋めて下さい。悲しむ、私喜ぶないです。あなた、子供とカルタして遊んで下さい。如何に私それを喜ぶ。私死にましたの知らせ、要りません。もし人が尋ねましたならば、はああれは先頃なくなりました。それでよいです。」
この言葉に対してセツ夫人は「そのような哀れな話して下さるな、そのようなこと決してないです」と答えます。しかし、ハーンはすでに覚悟を決めていました。「これは冗談でないです。心からの話。真面目のことです」といっています。
心臓発作が起き、この世を去る
いったんは消えた痛みでしたが26日の夜、ふたたび発作が彼を襲いました。夕食後いつものように書斎の廊下を散歩していたハーンは、妻の側に淋しそうな顔をして来て、「ママさん、先日の病気また参りました」といいます。まだ、胸に手をあてて室内を歩いていたハーンを、セツは静かに横にならせたのですが、間もなく、「口のほとりに少し笑いを含んで」あの世へと旅立ちました。
家族にとっては、あまりにもあっけない死でしたが、ハーンは自分の身体が弱っていることを知っていました。晩年知人に宛てた手紙には、たびたび体力と視力が衰えていると書いています。
9月30日、ハーンの愛した瘤寺で仏式による葬儀が執り行われ、その遺骨は雑司ケ谷の墓地に埋葬されました。ついにハーンは日本の土と化したのでした。


