ヒントになった「高知のパン店」

フルフルの明太フランスが誕生したのは2002年のことだ。3代目社長・古田量平さん(73)が「博多の名物パンを作りたい」という思いを形にした。

パン組合の勉強会で高知を訪れた古田さんは、小さな店で明太子を使ったパンを見つけた。これだ、と思った。明太子といえば福岡。福岡のパン店こそ、力を入れて作るべきではないか。

ところが、開発については簡単ではなかった。

古田さんがこだわったのは、国産小麦でフランスパンを作ること。当時、国産小麦でパンを焼くのは難しいとされていた。

たんぱく質の含有量が少なく、形が安定しない。実際に農家を訪ね、小麦の栽培から学んでは何度も試作を重ね、納得のいくフランスパンが完成するまでに数年を要した。今も明太フランスには北海道産の小麦を、菓子パンや調理パンには熊本県産の小麦や熊本産と北海道産をブレンドしたオリジナルの小麦を使っている。

3代目社長・古田量平さん
筆者撮影
パン店横のレンタルスペースで、インタビューに応じる3代目社長・古田量平さん

最初は1日10本も売れなかった

小麦だけではない。福岡の老舗・福さ屋の明太子を使い、バター6に対して明太子4の比率で明太バターを作る。この黄金比にたどり着くまでに約1年を要した。明太子の辛みとバターのまろやかさが絶妙だ。

外パリパリの中もっちりを実現するための工夫も忘れてはならない。いったん焼いたフランスパンにカットを入れ、明太バターを端までぎっしり詰めてから、もう一度焼き上げる。こだわりの詰まった1本が完成した。

しかし、最初は売れなかった。1日10本も売れない日が続いた。

転機は発売から2〜3年が経った頃、ある女性スタッフの提案だった。「1本だと女性には大きい。食べやすくカットしたらどうですか」。古田さんは、せっかくの形が崩れると思い、最初は乗り気ではなかった。ところが、試してみると売れはじめた。カットしながら「焼きたて出ましたよ」「何等分にしますか」と声をかける。そこには会話が生まれた。

明太フランスを売れる商品に変えたのは、現場の声だった。

明太フランス
筆者撮影
食べやすくカットしてもらった明太フランス。手でちぎって食べるのにちょうどいい切り込みが入っている