史実でも「大磐石」と呼ばれた秀才

錦織のモデルは西田千太郎という。ハーンの13歳年下で、成績が際立って優秀だったので「大磐石」と呼ばれたのは、「ばけばけ」の錦織と同じである。松江中学(のちの島根県尋常中学校)ではずっと首位で、経済的事情から同校の中退を余儀なくされたが、それなのに学校から請われて授業手伝、つづいて教諭試補になっている。よほど優秀だったということだ。

その後、依願退職して上京し、アメリカ人やイギリス人から英語を学び、心理学や論理学、地学や哲学も一部は独学で習得し、明治19年(1886)には文部省中学校教員の検定試験に心理学、論理学、経済学、教育学の各分野で合格。兵庫県や香川県で教えたのち、母校から請われて、英語のほか全教科を教えることになった。

黒板
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大学を出ていないので校長にはなれなかったが、「ばけばけ」の錦織のように、教員資格すらないわけではなかった。

ハーンが同中学校に英語教師として赴任したときは教頭で、以後、学校でハーンが困らないように、あらゆる面で便宜を図ってくれたのも、通訳をはじめ日常生活のすみずみまで助けてくれたのも西田だった。それこそ、松江での一人暮らしに不自由したハーンが、住み込みの女中を探してくれないかと頼んだ相手も西田だった。

ドラマ以上に2人の距離は近かった

「ばけばけ」の錦織は、西田をモデルにしてはいるが、西田そのものではない。だから両者に違う点があっても不思議ではないのだが、なかでも筆者が錦織の描き方を見て、「西田とはちょっと違う」と感じてきた点が2つある。

1つは、ハーンと西田の関係は、「ばけばけ」のヘブンと錦織以上に近くて深く、たとえ物理的に距離が離れようと、密に連絡を取り合っていたということ。もう1つは、「ばけばけ」では錦織の「病状」が描かれない、ということだった。

ハーンの長男の一雄は、著書『父小泉八雲』に西田のことを、「父が最も信頼した、日本人中第一の友」だったと書いている。実際、ハーンの大事な場面にはいつも西田がいて、そうでないときは手紙で報告し合った。

ハーンとセツが結婚を決心し、杵築大社(現・出雲大社)で神前に誓ったときも、そもそもはハーンと西田が逗留していて、そこにセツが加わったのだった。

熊本に転居したハーンが、「熊本は大嫌いだ」と愚痴を送った先は西田だった。長男の一雄が発した最初の言葉が「パパ」だったとのろけた相手も西田だった。日本に帰化する決心をした際、真っ先に手紙で伝えた相手も西田だった。ハーンがいざ入籍と帰化の手続きを進めるにあたり、さまざまに仲立ちしたのも西田だった。

「ばけばけ」では、ヘブンが日本国籍を取得する決心をしたとき、熊本で書生としてヘブン邸に居候している錦織の弟の丈(杉田雷麟)が、兄に手紙で協力を求める。だが、ハーンは第三者にそんなことを頼まずとも、自分自身が西田と密に連絡をとっていた。