「イギリスが助けてくれる」

現実の台湾は、19世紀後半まで低迷していた。今なら、民営化された鉄道会社の経営者が、この中華帝国の僻地に鉄道を整備することに興味を示したことだろう。だが、当時は汚職と効率の悪さが風土病のように島に蔓延していた。

さらに、本土自体がそれほどうまくいっていなかった。清と日本は朝鮮をめぐって戦争し、清は惨敗した。日本は彼らに下関条約という屈辱的な講和条約を突きつけ、とりわけ台湾の割譲を要求した。清国代表団のリーダーは、島ではマラリアが蔓延し、アヘン中毒者が大勢いると言って、日本にこの島の領有をあきらめさせようとした。

永地秀太作「下関講和談判」
永地秀太作「下関講和談判」(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons

しかし日本は、この策略を見抜いて、一歩も譲らなかった。