「あの人ならもっと売れたのでは」
その事実を知った時、「自分の音楽の力が弱いということなのだろうか」と、ふと思ってしまった。もし菅野さんが『進撃の巨人』を担当していたら、もっと売れたのではないか。50万枚、あるいはそれ以上のセールスを記録したかもしれない。これだけ社会現象になった作品でありながら、10万枚という数字はこの作品に相応しい結果だったのだろうか。
もちろん多くの人の手にとってもらえたことは幸せであり感謝していたが、作品の力を借りた上で、果たしてこの数字を手放しに喜んで良いものなのだろうか、そんな考えが頭をよぎった。高望みするなという意見もあるだろうが、『進撃の巨人』のヒットをまじまじと感じながらも、複雑な心境が交差していた。
もちろん、この作品に関われたことは僕の音楽人生に大きな影響を与えてくれたし、『ガンダムUC』と並んで、その後のアニメ作品のオファーが増えるきっかけになったのは間違いない。
そして、時間が経ち、サブスクリプションが主流の時代になると、『進撃の巨人』の楽曲は海外を中心にさらに広く聴かれるようになり、当時のショックを払拭してくれるような状況になっている。
調子に乗れない人生を送ってきた
よく言うのだが、僕の人生は「調子に乗れない人生」だった。音楽を作っている以上、ずっとネガティブな気持ちではいられないから、自分で自分を前向きにさせる部分はある。しかしそれとは別に、少し嬉しいことがあると、内心浮かれたがる部分もあるのだ。
だけど、「今いいところにいけたかも」「やっと少し前に進めたんじゃないか」と感じた直後に、必ずそれを打ち砕くような出来事が起きる。調子に乗りたいのに、乗らせてもらえない。サントラの売れ行きが良いと聞いて「おっ」と思っても、過去に日本で大ヒットしたサントラの数字を思い出すと、「いや、全然まだまだだ」と思い知らされる。
それらを比較対象にして、そこまで思い詰める人間はなかなかいないだろう、と言われたこともある。ストイックなのだと。しかし、自分としてはストイックとも違う気がするし、自惚れるには程遠いと感じているだけなのだ。
“自分の音楽をより多くの人に”という言葉が目立つと、自己顕示欲の塊と捉えられてしまうのかもしれない。“作品のためだけに”と書けば響きはいいかもしれないし、それこそストイックに感じてもらえるかもしれないが、“使命”ではなく、“志向”とともに始めた音楽なのだ。
それに、そもそも“作品のため”というのは言うまでもなく大前提・当たり前のことであり、僕の考えがそこから離れていくとも思わない。職業作曲家として、作品にどう貢献できるかという姿勢と、音楽家として自分の活動をどう拡張できるかという姿勢、常にその二つを抱えながら、音楽制作に取り組んでいる。
