15歳、丁稚奉公から始まったものづくり
時計の針を少し巻き戻そう。コルバの源流は、会長である父・禎昭さんの起業にさかのぼる。禎昭さんは15歳のとき、奈良から大阪へ丁稚奉公に出た。最初に勤めたビニール製袋もの工場から叩き上げ、15年後の1968年、30歳で独立し「桝本商店」を立ち上げた。そこで始めたのが、牛革を使った「がま口財布」の製造だった。
時は高度経済成長からバブルへ。桝本商店は商品の幅を広げ、口が大きく開く軽量なレザーポーチを開発し、月に1万個以上売れるヒット商品となった。百貨店や量販店に専用の棚が設けられるほどの売れ行きだったという。しかし、バブル崩壊とともに潮目は大きく変わる。
「10あった仕事が、ほとんどゼロになるような感覚で激減した」と武典さんは振り返る。
急速な円高と人件費の高騰。日本の製造業は雪崩を打って中国へと生産拠点を移し始めていた。「日本で作っていてはコストで勝てない」。誰もがそう確信していた時代だった。
深圳の巨大工場で決めた「絶対に日本からは出ない」
1995年、危機感を抱いた桝本親子は、同業者の一団に混じって中国・深圳の巨大工場を視察に訪れた。そこで見たのは、塀に囲まれた広大な敷地に2000人近い工員がひしめき、昼休みには運動場のような広場で一斉に弁当を広げる光景だった。
「資本主義の原理で考えたら、すべてがここに向かう。日本のやり方で勝てるはずがない」。武典さんはそう悟ったという。
同業者たちは一様に、中国進出によるコストダウンに期待を膨らませていた。だが、帰国した桝本親子が下した決断は、周囲の予想を裏切るものだった。
「絶対に、日本からは出ない」
それは決して、精神論や感情論ではない。自分たちの仕事を安く作れる場所へ、しかも同業者に明け渡してしまえば、これまで築いてきた国内の職人ネットワークは崩壊する。職人がいなくなれば、われわれのようなメーカーは小回りが利かなくなり、結局は差別化できず生き残れなくなる――そう踏んだのだ。

