「やり過ぎ」が子どもの社会適応能力に影を落とす
きっと「子どもが泣かずに済むなら良いじゃないか」と思う人もいるかもしれません。確かに一回きりの話であれば、事例の母親の対応は「やり過ぎ」だけど「問題がある」とまでは言えません。しかし、子どもにとって都合の悪い現実を変えるために、他の場面でも大人が「やり過ぎ」な行動を日常的に繰り返していたらどうでしょうか。
大人が子どもの都合が良いように現実を変え続けていると、子どもはいつまでも「ままならない現実」を受け容れる練習ができないことになります。学校や対人関係での「ままならない現実」を嫌がるようになり、時にはそこから遠ざかることもあり得ます。スクールカウンセラーとして働いていると、そのような反応をする子どもが明らかに増えたと感じます。当たり前ですが、大人になるにつれて「ままならない現実」は増えていくものなので、この練習不足が社会適応に影を落とさないか心配なところです。
この「ままならない現実に折り合いをつける練習」は子どもが将来、自分の能力(学力や運動など)が「ままならない」と感じたときの助けにもなります。理想通りの自分でいられない、だから自分は無価値な人間だ。そんなふうに思わずに子どもが「現実の自分」を受け容れていくためには、小さい頃から少しずつ「ままならない現実に折り合いをつける練習」をしていることが大切なのです。
外的な価値づけによって失われるもの
親のシール集めが「やり過ぎ」になることで、手に入ったシールに対する思い入れが親自身も強くなってしまいます。それによる問題もあります。
【事例:親の影響を受けた子ども】
女子児童は友だちとシール交換の際、母親が店に3時間並んで手に入れたボンドロと好きなキャラクターの平面シールを交換した。その際、母親から「こんなシールとボンドロを交換したなんて泥棒ね!」「せっかく手に入れたのに、そんな安物と交換しないで」「レートが低いのとは交換しないの」などと言われる。そのうち、女子児童は「平面シールはいらない」「あの子のシールはニセモノ」「レート違いは交換しない」と話し、好きなキャラクターのシールにも興味を示さなくなった。
令和のシール交換では「レート」があり、シールの人気、希少性、厚み、デザイン、SNSで話題になる、限定商品かなどによって左右されているようです。ボンドロなどの立体感や特徴のあるシールは高レート、平面シールや100均シールは低レートというイメージでしょうか。
平成のシール交換でも「レート」らしきものはありましたが、これは子ども同士のやり取りの中で自然と生じた感覚的なものでした。令和のシール交換では「レート」という言葉が使われていることからも明らかなように、大人の価値観(頑張って買ってあげたのに、ニセモノを持っているのはダサい、安物とは交換しない等)が強く影響している様子が見受けられます。SNSで大人がしている発信を子どもが見ていることも大きいでしょう。子どもの各種シールへの価値付けに大人の価値観が絡むことで、子どもの柔らかな感覚が失われてしまう恐れがあります。

