「日本のもっとも醜い、もっとも不快な都市」

そもそも、八雲が最初に上陸した横浜は近代化された街であったが、人力車で巡ることが出来る地域には、神秘的な日本の姿があった。松江は文字通りの神の国であった。でも、熊本にはなにもなかった。これは、八雲が憤るのも当然だ。

この憤りは止むところを知らない。熊本で最初に住んだ家は、今も市の有形文化財として保存されているが、この家に対しても松江の家に比べて、大きさはだいたい同じだが、あまりよくありませんし、庭がひどく見苦しいし家賃が高いと愚痴っている。

翌1892年6月27日付の手紙でも、評価は変わらない。

熊本はまさに私が最初に思った通りの場所で、日本のもっとも醜い、もっとも不快な都市です。

ここまで書かれてるのに、松江に比べて盛り上がりに欠けるとはいえ「ばけばけ」の放送にあたって博物館で特別展を開催したり、観光パンフをつくっている現代熊本人は聖人かなにかか? とまで思ってしまう。

いや違う。感情の起伏が激しく悪罵を始めると筆が滑ってしまう八雲だが、実のところそんな熊本にも、なにか見るべきものがあるのではないかと努力はしている。実際に、この手紙の中には、こうも書かれているのだ。

私は東京に行くもう一つの機会がありましたのに、それを断りました。熊本では、東京ではできない仕事――文学上の仕事――に対して、たくさんの機会を得る都合がつきます。

祝賀会で“朝までオール”した八雲

実際、熊本の街そのものを嫌い、自分をいらだたせている同僚たちに憤っていた八雲だが、別に、陰鬱として引きこもっていたわけではない。

いくら好きになれない街だとしても家族を支えるためには、ここに住み続けなければならない。だから、少しでも環境をよくしようとしたのか、かなり社交に精を出している。

熊本について、初めての正月には陸軍の宴会に羽織袴で出かけている。松江と比べれば大都市で、外国人も珍しくない熊本だが、さすがに羽織袴で現れた八雲を見て、なにごとかと思われたらしく、たいそうな人気者になっている。

そんな中で注目したいのは、1894年3月に行われた明治天皇銀婚式の祝賀のことだ。この時、第五高等中学校でも祝賀会が開催されたのだが、八雲はこれに参加して明け方まで楽しんでいる。

2022年4月9日、熊本市中央区にある五高記念館(2016熊本地震からの復元後)
2022年4月9日、熊本市中央区にある五高記念館(2016熊本地震からの復元後)(写真=hyolee2/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

その様子は、職を紹介してくれた東京帝国大学のチェンバレン教授への手紙に詳しい。読んでいるだけで騒音が聞こえてきそうな、今も語り継がれる旧制高校のバンカラ文化そのもののカオスである。

一応、天皇陛下を言祝ぐ行事である。教職員と生徒とで集まって明治天皇の肖像に拝礼する。ここまでは厳粛だ。ところが、その直後にはもう食堂に移動して宴会が始まる。生徒達は「天皇陛下万歳!」を何度も叫びながら、歌を歌い、踊り、騒ぐ。

もはや祝賀は単なる口実で、要するに若者たちが合法的に騒げる絶好の機会なのだ。現代で言えば、ハロウィンの渋谷である。教師たちは学生たちが唄う……というより、ほとんど叫んでいるだけの低俗な歌詞に顔をしかめている。