若者たちの“馬鹿げた熱狂”に感動
ところが、八雲は違った。日頃から街の貧相さと同僚の俗物ぶりに憤っていた八雲が、このバカ騒ぎを心から楽しんでいるのだ。チェンバレンへの手紙には、抑揚のたびに屋根が上下するようだったという歌の感想を、こう綴っている。
熊本の街並みには失望し、同僚教師たちには辟易していた八雲が、若者たちの馬鹿げた熱狂には「魂が生きている」と感動しているのである。この落差が実に面白い。
実際、八雲の性格はどことなく暗さを帯びているように思えるが、実のところ陽気なマッチョのノリも彼は大いに好んでいたようだ。1894年6月に、卒業生に向けた「極東の将来」という講演の中で、八雲は、こう記している。
“熊本の気質”を感じ取ったか
熊本が嫌な街とか散々ディスっていたはずなのに、九州男児のスピリッツには心酔している! この矛盾はいったい何なのか。
実は、ここに八雲という人間を理解する上で極めて重要な鍵がある。彼が熊本の若者たちに見出したものは、単なる「元気の良さ」ではなかった。それは、中央権力に対する独立精神、長いものに巻かれない気概だったのだ。
熊本という土地を歴史的に振り返れば、これは偶然ではない。元来、熊本は中央とは異なる意識が強く、単なる反骨精神ではない、実効支配と独立自営の気風を養ってきた。
八雲がこの土地の若者たちの「魂」に感動したのは、まさにこの歴史的な気質を直感的に感じ取ったからではないか。
そして、ここで重要なのは、八雲自身のルーツである。これまで記してきたように、彼の母ローザはギリシャ人かつロマ(ジプシー)やアラブの血も混じっていたとされている。
ギリシャはペルシア、ローマ、オスマン帝国と、常に大国の支配下に置かれながらも、独立を勝ち取った土地だ。母の血統に混じるロマは、どの国家にも属さず独自の文化を守り続けた。アラブの血もまた、部族の誇りと独立心を重んじる。
