若者たちの“馬鹿げた熱狂”に感動

ところが、八雲は違った。日頃から街の貧相さと同僚の俗物ぶりに憤っていた八雲が、このバカ騒ぎを心から楽しんでいるのだ。チェンバレンへの手紙には、抑揚のたびに屋根が上下するようだったという歌の感想を、こう綴っている。

私はこんな歌を聴くといつもそうなのであります。魂が生きている、そう私はその時思います。――それが残っている間は、いつも希望があります。(『小泉八雲全集』第10巻第一書房、1931年)

熊本の街並みには失望し、同僚教師たちには辟易していた八雲が、若者たちの馬鹿げた熱狂には「魂が生きている」と感動しているのである。この落差が実に面白い。

実際、八雲の性格はどことなく暗さを帯びているように思えるが、実のところ陽気なマッチョのノリも彼は大いに好んでいたようだ。1894年6月に、卒業生に向けた「極東の将来」という講演の中で、八雲は、こう記している。

私は日本の将来が偉大になれるかどうかはその九州魂あるいは熊本魂、即ち質素な善良な単純な者を愛して、生活の奢侈贅沢を憎む心――を保存することいかによると考えるのである。
旧制第五高等中学(熊本県)明治27年7月卒業生。最下段右から二人目がラフカディオ・ハーン
旧制第五高等中学(熊本県)明治27年7月卒業生。最下段右から二人目がラフカディオ・ハーン(写真=『Diaries & letters』北星堂書店/PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

“熊本の気質”を感じ取ったか

熊本が嫌な街とか散々ディスっていたはずなのに、九州男児のスピリッツには心酔している! この矛盾はいったい何なのか。

実は、ここに八雲という人間を理解する上で極めて重要な鍵がある。彼が熊本の若者たちに見出したものは、単なる「元気の良さ」ではなかった。それは、中央権力に対する独立精神、長いものに巻かれない気概だったのだ。

熊本という土地を歴史的に振り返れば、これは偶然ではない。元来、熊本は中央とは異なる意識が強く、単なる反骨精神ではない、実効支配と独立自営の気風を養ってきた。

八雲がこの土地の若者たちの「魂」に感動したのは、まさにこの歴史的な気質を直感的に感じ取ったからではないか。

そして、ここで重要なのは、八雲自身のルーツである。これまで記してきたように、彼の母ローザはギリシャ人かつロマ(ジプシー)やアラブの血も混じっていたとされている。

ギリシャはペルシア、ローマ、オスマン帝国と、常に大国の支配下に置かれながらも、独立を勝ち取った土地だ。母の血統に混じるロマは、どの国家にも属さず独自の文化を守り続けた。アラブの血もまた、部族の誇りと独立心を重んじる。