兄との別れ

息子の暴力に困り果てた当時41歳の母親は、意を決して皐月さんだけ連れて、80代の大伯母(母親にとっての伯母)の所に身を寄せた。

約2週間後、母親と皐月さんが、自宅の市営住宅を訪れると、言葉も発せない程に衰弱した兄が横たわっていた。家の中の食料は食べつくされていて、お金もなくなっていた。

母親に気づいた兄は、「なんで僕をほったらかしたん?」と力なく訴えた。母親は兄と話し、持ってきたおにぎりとお金を渡すと、すぐにまた皐月さんだけを連れて、大伯母の家に戻った。

それからしばらくして、母親は皐月さんに言った。

「お母さんはお兄ちゃんを殺して、お母さんも死ぬ。あんたを道連れにするわけにはいかないから、叔父さん(母親自身の弟)の家に行くか、伯母さん(母親自身の姉)の家に行くか決めて」

すると皐月さんは泣きながら懇願した。

「どっちも嫌、お母さんと暮らしたい。お母さん死なないで!」

その後母親は、職場の人からのアドバイスで児童相談所に相談。数日後、児相の職員が来て、兄は半ば拉致されるように連れて行かれた。

“緊急避難”した大伯母の家でも、いつ兄が居場所を突き止めてやってくるかと思うと、おちおち寝ていられなかった母親と皐月さんは、久しぶりに帰った我が家で、ゆっくりと朝まで眠ることができた。

ところが翌日、トイレに入ろうとして、鍵がかかっているのに気づいた皐月さんは、こっそり母親に、「(児相から)脱走した兄がトイレにいるかもしれない」と伝える。

母親はトイレに向かい、「おるんやろ、出ておいで」と声をかけると、泣き腫らした目で怒りに震えた兄が出てきた。

「なんであんな所に僕を入れたんか!」

そう叫ぶと、壁やドアを殴ったり蹴ったりして、家を破壊し始める。

「私は母が殺されるのではないかと思い、向かいの家に行き『お母さんが殺される! 警察呼んでください!』と頼みました。向かいのおばさんは警察を呼んだ後、家に入ってきて、兄をなだめてくれました。それでも兄は母に殴りかかろうとして、おばさんが必死に止めていました」

赤色のパトランプが光っている
写真=iStock.com/mapo
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ほどなくして数人の警官が到着。兄はパトカーで連行され、家から遠く離れた児相に送られた後、離れた県の少年更正施設に入った。そこで約2年間過ごし、寿司屋に就職。その後、職を転々としながら、最終的には母親が勤めていた会社に縁故入社し、スポーツジムで知り合った女性と結婚。男児をもうけて現在に至る。

皐月さんは子供時代に受けた暴力に対して兄から謝罪はなく、「私は兄を許していません」と言った。だが、もしも両親が離婚せず、母親の子育てが違っていたら、兄の人生は全く別の形になっていたかもしれない。