「喫茶喫飯」――心身が整う「食」の味わい方
「喫茶喫飯」という禅語があります。これは、
「お茶をいただくときは、お茶と一つになりきって味わう。ご飯をいただくときは、ご飯と一つになりきって味わう」
ことの大切さを説いた言葉です。
いまの若者の多くは、食事の間もスマホを手放せない様子。画面を眺めながら、食事をする姿をよく見かけます。
ほかにも「テレビを見ながら」「新聞を読みながら」「音楽を聴きながら」と、“ながら食事”をする人は少なくありません。
果たしてそれで、食事を“おいしく味わう”ことができるのでしょうか?
はっきり申し上げて、まず無理でしょう。せっかくのご馳走が「砂を嚙む」ように味気のないものになってしまいます。
そもそも食事とは、「自然の恵みである命をいただく」こと。
それにより、自分が生かされていることに感謝して食べるのが礼儀というものです。“ながら食事”など、心得違いも甚だしいといわざるをえません。
食事をする前はほんの数十秒、目を閉じて、心のなかで、つぶやいてみてください。
「いまから大切な命をいただきます。この食事を通して、自分自身の体に栄養をいただきます」
自然と感謝の心がわいてきて、ぞんざいな食べ方はできなくなります。ゆっくり、ていねいに、「休息の作法」にかなった食べ方ができるようになるでしょう。
修行僧の「素食」に学ぶ
「質」の部分では、肉やあぶらっこいもの、甘いものなどをとりすぎないように注意しなくてはいけません。
最近は、市販のお弁当や外食などでも、健康によいとされるメニューが増えましたが、それでもまだまだ高カロリーのような気がします。そういうものを無制限に食べていると、どうしても胃がもたれたり、お腹の具合が悪くなったりします。
その対局にあるのが、修行僧の食事でしょう。
修行僧の食事は、まさに「素食中の素食」。とくに「小食」と呼ばれる朝食は、水っぽいお粥と、ごま塩、おかずは透けるほど薄く切ったお漬物くらいのものです。
そこまで極端ではありませんが、私自身も、ほぼ野菜中心の食生活です。あぶらっこい料理や甘いお菓子などは、食べても少しだけ。お酒もほとんどいただきません。
そうした食生活のおかげもあってか、私の胃腸はいつも快調です。
そんな経験から、あぶらっこい食事が好きな若い人に、一つ、提案があります。
それは、お酒好きな人が健康のために“休肝日”を設けるように、
「週に一日か二日、“肉と油の休日”を設ける」
ことです。
それだけで、体調はずいぶん改善されるのではないかと思います。

