機内誌に書かれた差別的落書きをわざと見せつけられる
明らかな差別だけでなく、小さな差別、マイクロアグレッションと呼ばれるものもあります。たとえばパイロットがブリーフィングでみんなの目を見て話すのに、私だけ無視。機内誌に「この国は白人の国だ!」と殴り書きされているのを見つけたクルーが「こんなんあった」と、わざわざ私に見せてきたときは、「それ、どういう意味なん?」と心にモヤモヤが広がっていきました。
一つひとつは些細な出来事ですが、小さな傷つきが蓄積していきます。毎日毎日、ちょっとした違和感や疎外感を感じ続けると、心が削られていくんです。
コロナ禍では、こうした小さな差別がさらに加速したように感じました。バンクーバーでは一時期、SNSなどでのデマを発端にトイレットペーパーが品薄になる事態が起こりました。一部の人には「アジア系=ウイルスの源」「アジア系=買い占め・転売」というステレオタイプが強まっていたのか、トイレットペーパーが売られているお店を偶然見つけ、私が買おうとしたら、レジの女性にひどく嫌な顔をされました。その人から見たら日本人かどうかは関係なく一括りにアジア人ですし、「転売ヤー」と思われたのだと思います。
本当にこの時期は心がしんどかったです。「別にいいもん。こっちはいつでも日本に帰れるから」と何度も心に言い聞かせていました。母親や伯母は日本にいるし、自分には帰る場所がある――これが当時の心の支えでした。
「お箸使えるんですね」が相手を傷つけているかも……
海外で暮らすマイノリティ(少数派)として、こういう経験は避けられない部分もあります。でも、差別的な人はごく一部。ほとんどの人は善良です。これだけは強調しておきたいところです。
そして、自分では差別と思っていなくても、それが差別的な発言や行動に当たることもあります。日本人が外国人に「日本語お上手ですね」「お箸使えるんですね、すごい」と褒めたつもりで言っても、言われた側、特に日本での生活が長い人にとっては、「自分はまだ日本社会の一員として受け入れられていない部外者なんや……」と感じさせ、傷つける可能性があります。
個人的には、カナダに暮らして十数年経った今、こういった小さな傷つきに対してはかなり図太くなりました。「差別するようなしょーもない人にエネルギーを使いたくない」と思います。でも同時に自分も無意識に差別する側にも、される側にもなる可能性もあるのだなと改めて感じています。
