「明るいだけの人間には深みがない」と開き直る
明るく前向きはどこかへ飛んでいってしまい、暗くて後ろ向きの人になってしまったのです。
「明るく前向きは、こんなにももろいんだ。これが人間の本質であるはずがない」
彼女の豹変から私が感じ取ったことです。
明るく前向きがいいと本に書いてあったから、彼女は明るく前向きを演じていたのです。
演じるというのはメッキです。検査結果が少し悪くなったというだけのことで、あっさりとはげてしまう薄っぺらなものだったのです。
「明るく前向きだから経過がいいのではなく、経過がいいから明るく前向きでいられるのだ」
その日以来、私は「明るく前向きがいい」という考え方を捨て、人前でも言わなくなりました。
がんと診断されて落ち込まない人はいません。落ち込んでいいんです。後ろ向きで暗くなってもいいんです。
私がかかわった患者さんで、いつまでも落ち込んでいる人は皆無です。必ず立ち直ります。そこから次のステップを考えればいいわけで、具体的な治療法は気持ちが回復してからゆっくりお話しするようにしています。
私自身、明るくて前向きな人間ではありません。暗くて後ろ向きでもないけれども、楽しければ明るくなるし、嫌なことがあれば暗くもなります。それが普通の人間ではないでしょうか。
無理して明るく前向きに生きようとするからつらいわけで、気持ちが落ち込んでいるときには、しばらく暗くて後ろ向きの自分でいればいいのです。
「明るいだけの人間には深みがない」
そう開き直って、暗さと仲良くしていればいいのではないでしょうか。
背中に漂っている「かなしみ」
「明るくて前向き」が人間の本質ではないとしたら、何が本質なのか。
私はそれが知りたくて人間観察を始めました。
病院ではもちろん、居酒屋ではお酒を飲みながらお客さんの様子をチラチラ見たり、取材のときは取材者やカメラマンの表情を観察しました。
でも、なかなか本質はわかりません。
ある夕方、ぱっとひらめきました。
都内での仕事が終わって、一杯飲みたくなりましたが、居酒屋はまだ開いていません。ちょっと食事には早いけれどもそばくらいなら食べられるだろうと、行きつけのそば屋さんを訪ねました。
簡単なつまみでお酒を飲んで、最後にざるそばでも食べてから家へ帰るという算段です。テーブルへつき、お店の人とひと言ふた言、言葉を交わしてから注文をし、まわりを見回しました。何人かのお客さんがいましたが、いずれもサラリーマン風で、私と同じように一人で簡単な料理を肴にお酒を飲んでいました。
お酒が運ばれてきて、私も飲み始めました。
もう一度、一人ひとりのお客さんを観察してみました。
たぶん、仕事が終わって、このまま家へ帰る人たちなのだろうと彼らの状況を推測しました。
そんなときです。ぴぴっときたのは。
みなさん私からは背中しか見えないような座り方をしていたのですが、彼らの背中に漂っている気配を感じました。なんとなく懐かしい感じの気配です。
「何だろう?」
言葉にしようとしました。
そのときに出てきたのが「かなしみ」だったのです。

