「文明人を演じている」かのようだった
宗教はプロテスタント(資料によってはピューリタンと記されることもあるが、佐久間が教えを受けたのはオランダ改革派の牧師である)で酒も煙草もやらない。英語が得意で、服装もオシャレ。つまり、信仰すらも「イケてるアイテム」として身につけていたことだ。
明治のこの時期、プロテスタント(特にアメリカ系)信仰は、一種のステータスシンボルだった。仏教? 神道? ダサい。カトリック? 古臭い。これからの時代はアメリカ直輸入の最新キリスト教!!(舶来志向でも真面目な人はイギリス伝来の救世軍などへ)そんな空気があった。
佐久間は、その「文明開化コンプリートセット」を完璧に揃えた男だった。まるで「苦労人の過去など無かったことにして、生まれついての文明人を演じている」かのようだった。想像するに、こんなセリフを吐いていたのだろう。
「いやあ、古いですね。もうね、これからの時代はこうザンスよ〜」
口を開けば欧米かぶれ(生徒の人気は悪かった)、いわば『ドラえもん』のスネ夫と『おそ松くん』のイヤミが合体したような明治の陽キャである。
基本が陰キャな八雲が、こんなヤツとうまくやれるはずないだろう‼
八雲からしてみれば、苦労人だったくせに過去を消してキザな紳士みたいに振る舞っている。それだけでも十分ウザいのに、佐久間の「信仰=俺、イケてる」感は吐き気すら催すものだった(なお、後年になって佐久間はキリスト教徒であることを否定している。八雲の見立ては正しかったのかもしれない)。
八雲は“ブチ切れ続けた”
八雲にとってキリスト教は、母を奪った宗教だった。ギリシャ生まれの母は異教徒として責められ離縁され、八雲は二度と会うことができなかった。八雲自身も叔母によってカトリック学校の寄宿舎に送られた。加えて16歳の時の事故で左目の視力を失い、生涯コンプレックスを抱えた。
おそらくは、そんな八雲の前で、佐久間は「アメリカ発のプロテスタントに改宗した自分」を、まるで最新ファッションのように語る鼻持ちならない人物だったのだろう。
きっと、八雲はこんな風に思っていただろう。
「お前が信じてる神のせいで(註:宗旨は違う)、俺の母も、俺自身もひどい目に遭ったんだよ。しかも、お前みたいに、信仰をファッションにしてる奴が一番許せない。勝手に目覚めてろ!!」
これでは、いくら佐久間が学識豊かであっても噛み合うはずがない。
そして、時間が経つほど、八雲の佐久間への憎悪は増していった。
こうして熊本に滞在した3年間、八雲は佐久間にブチ切れ続けることになる。しかも、当時、財政難だった日本政府では学校の予算の削減、外国人教師の給与削減やリストラを進めるようになっていた。つまり、八雲自身も「いつクビにされるのか」不安が尽きなかったのである。そうした不安の怒りの矛先も、佐久間に向けられている。
