“外国人”に向けられた冷たい視線

紙面を精査した八雲研究者の広瀬朝光は、こう記している。

当時の『九州日日新聞』を読むと、宣教師が教会を建てるために土地を購入するのを著しく非難攻撃し、土地を売ろうとする日本人を売国奴呼ばわりし、宣教師を即スパイと決めつけている。外国人が日本人妻を娶り街を散歩する様子を見て、日本人女性を姦淫し風紀を乱す毛唐連は、速やかに放逐すべしと新聞に論ずる時代でもあり、この風潮は熊本高等中学校の御雇外国人である、ヘルンにも、その矛先が何時向けられるのかわからない情勢であった。

ようは八雲が「『古事記』に描かれた日本神話の神秘が残る土地かあ」と期待して来てみれば、熊本は多くの人々が「この毛唐が、日本の女ば取りやがって、叩き出せ」とヘイトを向けてくるとんでもない魔境だったわけである。

……これは、熊本到着3カ月後からソフトランディングさせないと、朝の連続テレビ小説に似合わない。

そんな八雲の更なる不幸は、西田千太郎がいなかったことに尽きる。

松江での西田は、八雲にとって単なる通訳ではなかった。自らも英語を学び、八雲の学識を尊敬し、怪談採集にも民俗調査にも献身的に協力した。研究助手であり、理解者であり、友人だった。

「英語教師・佐久間信恭」を最初は絶賛したが…

ところが、熊本で八雲が出会ったのは、西田とは正反対の、はらわたが煮えくり返るような人物ばかりだった。

佐久間 信恭
佐久間 信恭(写真=PD-Japan-oldphoto/Wikimedia Commons

中でも、八雲の心情をもっとも害したのが「ばけばけ」に登場する作山(橋本淳)のモデルとされる、英語教師の佐久間信恭という人物であった。

この人物、長男・小泉一雄が『父小泉八雲』(小山書店1950年)の中で「但し、佐久間氏とは後に大喧嘩した」と記しているくらいだから、相当八雲をいらだたせた人物である。

ところがこの人、別に悪人ではない。むしろ、21世紀の日本顔負けの外国人ヘイトに満ちた当時の熊本の中では、極めて先進的な人物である。もともとは、横浜で英語を学んだ後に新渡戸稲造や内村鑑三らと共に札幌農学校に進学。同志社(現在の同志社大学)などで教鞭を執った後に、熊本高等中学校に赴任している。内村鑑三をキリスト教に導いたのは、この佐久間だとされている。

八雲としても第一印象は悪くなかった。赴任直後には西田に宛てて「知識も豊かで、読書を好む親切な人物」と絶賛する手紙まで送っている。

ところが、間もなく二人の仲は険悪になっていく。

八雲がいらだったのは、佐久間のキャラ設定である。佐久間は札幌農学校卒。西田と同じく大学は出ていないが、苦労を重ねて今の地位にたどり着いた人物だ。

だが、その泥臭い経歴を微塵も感じさせない男だった。