八雲の“佐久間攻撃”は苛烈だった
例えば、当時チェンバレンに送った手紙では佐久間は英語の理解に乏しく、ろくでもない教材を使って授業をしているひどいヤツだとまで書いている。赴任直後には「学識豊か」と絶賛していた同じ人物を、である。
さらには、西田には佐久間は、生徒たちを焚きつけて自分の授業をボイコットさせて、追い出そうとしているなんてことも伝えている。
とにかく、熊本滞在時期の八雲の手紙で、佐久間に触れたものは、読むに堪えない内容の連続だ。八雲研究者である速川和男の『小泉八雲の世界』(笠間書院、1978年)では「後に日本版の全集をまとめた弟子達は佐久間攻撃の書簡の処置に困ったのではなかろうか」と記し、初期の小泉八雲全集には収録されていないものもあるとしている。弟子たちが師の名誉のために封印せざるを得なかったほど、八雲の佐久間攻撃は苛烈だったのだ。
おそらくは八雲を好きで研究している研究者をして呆れさせるのだから、相当のものである。
セツがいたから、文豪・小泉八雲が生まれた
そんな大魔境・熊本で八雲が正気を保っていられたのは、セツの存在、そして怪談である。
セツは後年、熊本時代のこんな思い出を語っている。八雲が「面白いところを見つけた」といいだして、二人で夜の散歩に出た時のことである。
八雲が「面白いところ」として妻を連れ出した先が墓場……普通の夫婦なら絶対にありえない話だが、これこそが八雲とセツの関係を象徴している。
熊本時代の八雲は、完全に二つの世界に引き裂かれていた。
一つは、近代化された学校という「地獄」。もう一つは、古い日本が残る墓場や寺社という「聖域」。
そして、その両方の世界で八雲を支えたのが、セツだった。学校の愚痴を聞き、夜の墓場散歩に付き合う。この妻がいなければ、八雲はとうに壊れていただろう。やはり、文豪・小泉八雲はセツがいなければ生まれなかったのだなと、しみじみ思う。


