幹部たちが学ぶハーバード流交渉術
もう一つ例を見ていこう。交渉スキルは、ビジネスにおいて成果を左右する中核の能力だ。
とくに複雑な利害や不確実性が絡む場面では、単なる条件のすり合わせではなく、長期的に価値を生む合意形成が求められる。このため、ハーバード・ビジネス・スクールをはじめとするアメリカのビジネススクールの幹部教育プログラムには、必ずといっていいほど交渉に関連するプログラムが複数存在する。
これらのプログラムは、交渉を「戦略設計」「価値共創」「感情・認知のデザイン」の3つの観点で分解し、再現可能なかたちで体系化している。戦略設計では、誰を関与させ、なにを議題とし、どの順序で進めるかを組み立てる。
価値共創では、勝ち負けの関係ではなく、相互のニーズを結びつけて新たな選択肢を生み出す。感情・認知のデザインでは、言葉や順序、情報提示の仕方によって相手の理解と意思決定の流れを設計する。
これらを理論として学ぶだけでなく、ケース演習やロールプレイを通じて行動レベルまで落とし込む。
ハーバード流交渉術には、「立場ではなく利益に焦点を当てよ」という有名な原則がある。
たとえば幼い姉妹が1つのオレンジをめぐって喧嘩しているとしよう。親が見かねて半分に割って与えても、両方が不満顔になる。なぜか。姉は皮を使ってマーマレードをつくりたがっていて、妹は実を食べたかったからだ。
つまり、「オレンジをどう分けるか」という立場にこだわるかぎり解決はないが、それぞれの利益を理解すれば、双方が望むものを100%手に入れることができる。
相手の立場ではなく、利益を理解する
交渉はしばしば「勝ち負け」のゲームだと誤解される。だがハーバード流交渉術は、次のような原則にもとづいている。
・ 人と問題を切り分けて考えること
・ 立場ではなく、背後にある利益を探ること
・ 相互に利益となる選択肢を創造すること
・ 客観的な基準で合意を築くこと
・ 交渉が決裂した場合に備えて、BATNA(Best Alternative to a Negotiated Agreement:交渉がまとまらなかった場合の最善の代替案)を持つこと
この「BATNA(バトナ)」があるかどうかで交渉の強さはまるで変わる。合意できなければどうするか――その道筋があるからこそ、不利な条件に押し切られることなく、冷静に交渉を進められるのだ。
ビジネスの交渉も同じである。相手の「立場」に引きずられているかぎり硬直する。だが相手の「Win」、つまり本当の利益を理解し、同時に自分のBATNAを握っていれば交渉は動き出す。
こうした手法を学ぶプログラムに参加するのは、多国籍企業の経営層、事業責任者、M&Aや法務を担う専門家など、日常的に難しい交渉に臨む人々である。
彼らは交渉やコミュニケーションが「経験を積めば自然にうまくなるもの」ではなく、意図的に学んで練習し、振り返らなければ上達しないことを理解している。そのため、時間と費用を投じてでも、自らのスキルを体系的に磨く機会を求めるのだ。


