岩倉織田家の家臣は出世できず

蜂須賀正勝、前野長康、稲田植元の3人はもともと岩倉織田家の家臣で、仲も良かったらしい。

『寛永諸家系図伝』の蜂須賀正勝の項に面白い話が載っている。

蜂須賀正勝の肖像画(模写)
蜂須賀正勝の肖像画(模写)(写真=東京大学史料編纂所蔵/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

永禄13(1570)年、金ケ崎かねがさきの退き口の際に、秀吉が信長に殿軍しんがりを申し出ると、「信長其儀そのぎどうじたまひ(い)、(蜂須賀)正勝ならびに木村常陸介・生駒甚介(親正)・前野将右衛門(長康)・加藤作内(光泰)みぎ五人をのこ(残)しを(お)かれて、異儀なく人数にんじゅ(=兵)をひきとらる。又秀吉退陣の時ハ、正勝しつはらひ(い)(尻払=最後)たり。此後こののち所々数度の戦場に秀吉にくミして旗下となる」。