健康で長生きすることが勝利の秘訣

いずれにせよ、こうした食生活が徳川家康の長寿に貢献したのは間違いないだろう。

河合敦『戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか』(ポプラ新書)
河合敦『戦国武将は戦がないとき、何をしていたのか』(ポプラ新書)

また、家康は正室の築山殿の死後、ずっと正室を持たなかったが、のちに豊臣秀吉の妹・朝日姫を後添えとした。しかし彼女は48歳で亡くなってしまう。その後、家康に正室はいなかったが側室は多く、年齢の高い出産経験者が多数を占めた。

しかし晩年は好みが変わったのか、10代の側室も何人かいて、家康との年の差は最大で53歳ほど。

ちなみに、家康が秀吉と同じ年の62歳で死んでいたら、どうなっていただろうか。江戸幕府の創立年に没していたことになるので、豊臣家を滅ぼすことはできず、凡庸だとされていた息子の秀忠もまだ将軍に就いていない。

となれば、徳川幕府は260年も存続したかどうかは極めて疑わしいだろう。

もしも秀吉が75歳まで長生きしていたら

また、同年に生まれた家康の末っ子、頼房がのちの水戸藩の祖となることはなく、徳川光圀(水戸黄門)もこの世に誕生していないかもしれない。

逆に、秀吉が家康と同じ75歳まで生きていたとしたら、跡継ぎの秀頼は20歳近くになっている。5歳違いの家康(70歳)があと残り5年の寿命で天下分け目の合戦に勝ち、豊臣家を滅ぼすのは難しく、豊臣の時代が長く続いていたかもしれない。

そういった意味では、健康で長生きしたことが、家康を戦国の覇者にしたともいえるのだ。

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