八丁味噌や納豆などの発酵食品
『名将言行録』には、麦飯の話も載っている。徳川家康は夏季に毎日麦飯を食べていた。あるとき近習が、無理をしているのではないかと心中を察し、白米飯を茶碗に盛り、その上を麦飯で薄く覆って差し出した。
すると家康は、「お前は私の気持ちがわからないのか。私がケチって麦飯を食べていると思っているようだが、それは違う。戦国の世で毎年兵を動かしているため、士卒は大いに苦しみ安心して寝食もできない状態。
どうして自分だけ飽食できようか。私は自分の食事を質素にして倹約し、それを軍用にあてようと考えているのだ。農民に苦労をかけ、自分だけ贅沢しようとは思わない」と述べたという。
家康の倹約目的の麦飯は、結果として彼の健康を保ったのである。ちなみに、おかずは、家康の故郷・三河では八丁味噌が有名。
伝承では、味噌汁や、いわしの丸干し、鯛の一夜干しなど、たんぱく質のおかずに加え、納豆などの発酵食品も積極的に食べていたという。季節はずれの危ない食べ物には手を出さない。
暑い夏でも「煮込みうどん」を食べたワケ
徳川家康は食べ物には火を通し、温かい状態で食べていたという。暑い夏ですら生姜入りの煮込みうどんを食べていたようだ。体を冷やさないのが良いというのは漢方の常識であり、当然、家康も知っていただろうが、それを実践し続けるのは難しい。
ちなみに、食に関しては、『名将言行録』にこんなエピソードが載っている。
秋深い11月に、織田信長から立派な桃が一籠贈られてきた。季節外れの珍味である。ところが家康は手に取らなかった。
家臣が訝しんで理由を尋ねると、「私は桃を好まぬわけではないが、信長公のように大身ではない。もし小身の私が珍しい物を好めば、百害あって益なしだ。無益なことに財を費やしたら、ついには士卒を養えなくなる。志ある者は珍物を好んではならない。
とにかく軍備を整えることが大切。信長公は大身ゆえ、珍物を好まれるのだ」と言い、桃をすべて家臣に分け与えてしまったという。
せめて、一つぐらい食べてもよかったはずだが、おそらく家康は「季節はずれの危ない食べ物には手を出さない」という慎重さがあったのではないかと思う。

