麻袋に入れられ、捨てられかけた夜
周さんの記憶では、弟が生まれたあと、2~3歳だった真冬の寒い夜、父親が周さんを麻袋に入れて、悲しそうな目で周さんをじっと見つめていた。幼かった周さんには意味がわからなかったが、本能的に危機を感じたのか、父親に向かって精一杯の笑顔を見せた。だが、両親はこれ以上育てられないと考え、周さんを村役場の入り口に置きに行った。誰かに拾ってもらって大切に育ててもらおうと思ったのだ。
両親は物陰に隠れてしばらく様子をうかがっていたが、何時間経っても誰も現れなかった。両親は娘を放置することが忍びなく、家に連れて帰ったという。その日は春節の最後の晩。中国の伝統で、一家団欒で過ごす大切な日だったので、誰も外を歩いているはずはないのだが、切羽詰まった両親はその日であることに気がつかなかった。
その後、周さんは中学を卒業し、中学1年のときに出稼ぎに行った姉が学費を出してくれてパソコンの専門学校に通い、深圳で就職。日本語学校に通いながら夜間は日本料理店で働いた。苦労の末、自考(日本の大検に相当)を受験して中国の大学に進学。それから来日し、日本の大学院まで修了して、現在は日本で働いている。周さんの並々ならぬ努力の結果だが、周さんによると、周囲の人々の中には、「一人っ子政策」に翻弄され、人生を台なしにされた人が大勢いた。周さんの親戚の子どもは里子に出され、養父母に大切に育てられたが、もともとの家族はバラバラになってしまった。
無戸籍児、誘拐、強制中絶が横行
私の知人の別の中国人女性も、農村出身で2番目の子として生まれ、両親は罰金を支払うことができなかったため、戸籍がないまま育てられた。中国でかつて大きな社会問題となった、いわゆる「黒孩子」(ヘイハイズ=無戸籍児)だ。黒孩子は「いないもの」として扱われるため、医療や教育を受けられないが、その女性の場合、地元の中学までは進学できた。しかし、戸籍がなかったので高校には進学できなかった。
また、不妊で子どもが生まれなかった夫婦や金目当ての人など、子どもを欲しがる人が多いため、誘拐ビジネスも横行した。現在も誘拐はなくなっておらず、中国では子どもを連れ去られた経験のある人が大勢いる。たった1人のわが子が事故や事件に巻き込まれて亡くなった「失独家庭」も多い。子どもを望んでも産めないばかりか、2人目を妊娠させないように、地方政府の役人により、口に猿ぐつわをされ、身動きできないように手足を縛られて、中絶手術をさせられた女性も多かった。生まれた子が女児だった場合、その子を山奥に捨てに行ったという話も、農村では枚挙にいとまがない。
ちょうど中国の出生数減少の報道があったばかりだったので、周さんに、周さんのお母さんは現状(少子化問題)をどう見ているのか、と聞いてみると、「ざまあみろ、と言っています」とのこと。政府の方針により、二度とない人生を狂わされ、悲しい目に遭った人々が中国にはごまんといる。現在のとどまるところを知らない人口減少は国民による政府への仕返しなのか。「一人っ子政策」が開始された1979年からまもなく半世紀になる。中国社会はあまりにも大きく変貌し、人々の意識は変わった。だが、政府への不信感がぬぐえないという点は変わっていない。


