※本稿は、倉山満『嘘だらけの日本近世史―皇室から見た江戸時代―』(扶桑社)の一部を再編集したものです。
秀吉が直面した「皮膚感覚の差別意識」
天皇は、政治の勝者を承認する存在です。織田信長が日本の最強実力者でありながら、何者でもない存在となっていました。かつて存在した天皇家を凌駕する権力者は、藤原氏が関白、平清盛は太政大臣、鎌倉と室町の両幕府は征夷大将軍と、天皇から官職を与えられて日本を支配しました。天皇は政治の最高権力者の任命権を持っているのです。
しかし、信長はその枠外にいる。一時は「信長は朝廷の権威を否定している」とされ、挙句は「自分が天皇になろうとしていた」との説を唱える人までいたのですが、さすがに修正・否定されています。
ただ、晩年の信長が不気味な存在だったのは間違いありません。この状況に決着をつけようとしていた時に起こったのが、天正10(1582)年6月2日の本能寺の変です。
突如として権力の空白が生まれます。これを収拾したのが、信長の家臣だった羽柴秀吉です。6月13日に山崎の戦いで光秀を破り、信長の後継者の道を歩み始めます。
秀吉は、信長以上に朝廷の権威を利用しつくしました。その過程は、名著『秀吉再考』(ワニブックス、2025年)をどうぞ。言ってしまえば、秀吉には朝廷の権威を利用する動機(モチベ)があるのです。
農民から大名になった秀吉は、周りのすべての人間から差別されている存在です。戦国大名とは、「なんで俺がお前の言うことを聞かねばならないんだ」と思ってる連中に、言うことを聞かせてのし上がっていった人たちです。力でねじ伏せるし、時に権威も使う。
しかし秀吉は「そもそもお前は同じ空間で俺と対等に口を聞ける存在ではない」と思われている存在なのです。
『秀吉再考』で書いときましたが、小田原北条氏など、信長には力の差を認めて臣従の姿勢を示しました。しかし秀吉には、滅ぼされるまで抵抗しました。その差は何なのか。滅ぼされてでも抵抗した北条氏の論理は、あまりにも不合理です。もはや「皮膚感覚の差別意識」としか、言いようがありません。
秀吉はそういう「すべての人間が自分を差別する世界」でのし上がったのです。

