歌舞伎の題材にもなった渋谷の英雄、金王丸
ところで、「金王」とは何? ですが、上の渋谷重家の子で、「金王丸」と呼ばれる人物に由来するといいます。
その伝説的生涯をざっとおさらいしましょう。
渋谷重家にはしばらく跡継ぎの子がおらず、氏神の八幡神に祈願したところ、妻の胎内に金剛夜叉明王(密教で奉じられる五大明王の一尊)が宿る霊夢を見て、子を授かった。そのため金剛夜叉明王の上下の2字をいただいて渋谷金王丸と称された。
17歳のとき、源義朝に従って保元の乱(1156)で大功を立て、その名を轟かせた。『平治物語』には、戦いに破れた義朝の愛妾・常盤御前にその死を伝えた義朝の郎党・金王丸としてその名を残しています。
のち剃髪し、土佐坊昌俊として諸国を行脚。義朝の御霊を弔う一方、義朝の子である頼朝が挙兵の折は、密かに当八幡宮に参籠して平家追討の祈願をした。やがて頼朝に従い武勲をあげたのち、謀反の疑いをかけられた義経を討つようにと頼朝に命令され、義経のいる堀川御所(邸宅)に夜討ちを仕掛けたものの、常盤御前とともにいた幼い頃の義経を覚えていたため討つことができず、逆に討たれてしまった……と伝わっています。
まさに劇的な、いや劇的すぎる生涯ですが、実のところ、金王丸(渋谷金王丸常光)と土佐坊昌俊が同一のものとする史料は確認されておらず、金王丸が実在したとする確実な史料も存在しないといわれています。
秘仏のように祀られる伝説のヒーロー
しかし江戸時代、渋谷の八幡宮は徳川将軍家の信仰を得て社殿が造営される一方、「渋谷金王丸伝説」は歌舞伎などで広く知られることとなり、その名声に後押しされて社名も金王八幡宮と称されるようになります。
境内には、そんな金王丸を神のように祀る建物があります。
金王丸御影堂です。堂内には金王丸が17歳の初陣の折、自分の姿を彫刻し母に形見として残したという木像が佩用の長太刀とともに奉納されています。
渋谷の伝説のヒーローが、秘仏のように祀られている。それだけでも萌えますが、3月最終土曜日の金王丸祭(金王丸御影堂の例祭)で特別開帳とのこと。是非もなく、筆者は令和7年のそれに馳せ参じました。思いのほか多かった参列者とともに並び、ようやく拝観。きりりと凛々しい少年のお姿でお鎮まりだった、とここではお伝えしておきます。


