かつてここには「城」があった

では、金王八幡宮の正面から境内へ。と、その前に、参道の石段の手前を横切る道がやや低くなっており、南西の下り道につづいていることに気づきます。

この窪地は古くは黒鍬谷くろくわだにと呼ばれ、かつて川が流れていたといいます。実は先ほど上ってきた細い坂道は、幻の黒鍬川の流路とされている道でした。

金王八幡宮の境内
金王八幡宮の境内(写真=Saigen Jiro/CC-Zero/Wikipedia commons

これは何を意味しているか。金王八幡宮は、もとは渋谷城と呼ばれる中世城郭跡に鎮座しており、黒鍬谷(川)はその外堀だったと考えられているのです。

金王八幡宮の歴史は、この地を治めた渋谷氏の歴史と直結しています。

社伝によれば、創祀は寛治6年(1092)。かつて坂東(関東地方)に下向した桓武平氏の流れをくむ武家のうち、秩父氏当主の平武基たいらのたけもとは、房総地方で起こった反乱を鎮める武功を立て、「軍用八りゅうの旗を賜り、そのうちの日月二旒を秩父の妙見山みょうけんざん(武甲山)に納め八幡宮と崇め奉りました」(金王八幡宮のHPより)。

「軍用八旒」は聞き慣れないワードですが、要は軍神として崇められた八幡神が宿る八つの旗(幡)のことで、それを褒賞として下賜されたという意味でしょう。

渋谷の地名のそもそもの由来に

のち、武基の子武綱は、嫡子の重家とともにみちのく奥州を舞台に展開した後三年の役(1083〜1087)で源義家の軍に参戦し、奥州の豪族・清原氏を攻略。その軍功により、河崎土佐守基家の名と、武蔵谷盛庄やもりのしょうを賜ったとあります。

谷盛庄とは、谷の多い地形を意味し、現在の渋谷を指します。

「源義家は、この勝利は基家(武綱)が信奉する八幡神の加護なりと、基家が拝持する妙見山の日月旗を乞い求め、月旗をもってこの地に八幡宮を勧請しました」(同上掲)。

勧請とは、神の分霊を新たに建てられた神社に迎えて祀ることです。

そしてつづく重家の代に、「堀河天皇より渋谷の姓を賜り、当八幡宮を中心に館を構え居城とし、渋谷氏は代々当八幡宮を氏族の鎮守と崇めました」(同上掲)。

これが渋谷氏および渋谷城と金王八幡宮の発祥(諸説ありますが、ここは社伝に沿っておきます)で、「渋谷」の地名由来にもなっているんですね。