かつての栄光を失った「元・中心都市」

近代以降の熊本がいかに酷かったかを示すのは、鉄道駅の位置である。熊本駅が開業したのは1871年7月のこと。

よく知られていることだが、このJR熊本駅は市街地からは遠く離れた郊外に立地している。そうなった理由は、当時の熊本県が土地買収予算を捻出できず、市街地まで線路を近づけることができなかったからだ。こうして、新たに産業と商業の中心となった福岡に九州の中心都市としての地位を奪われ、政令指定都市となった現在でも若者は福岡に流出していく体たらくになっている(昼間たかし『これでいいのか熊本県』マイクロマガジン社、2021年)。

つまり、八雲が訪れた当時の熊本は、かつての栄光を失った「元・中心都市」だった。それも、ただ衰退しただけではない。西南戦争に街も経済も破壊され、産業も育たない。僅かな希望は、威張りくさった官僚機構と教育機関だけという、極めていびつな街になり、ルサンチマンを貯め込んでいる時期である。八雲が期待していた「神話の残る古き良き九州」が、どこにも存在しないどころではない……もっとも暗黒な時期である。

離れたくて離れたわけではない松江には未練もある八雲。でも、九州にも多くの神話があるはずだ。そう考えて、自分を律してセツや家族たちとたどり着いた熊本。その惨状に、たちまち腰が砕けたのではなかろうか。

もはや「ジゴクジゴク」といつもの悲鳴をあげることすらできなかったかもしれない。

家の中から庭をみる 小泉八雲旧居にて
筆者撮影
家の中から庭をみる 小泉八雲旧居にて

熊本では“超マイナーな”小泉八雲

そもそも熊本に滞在した3年あまり、八雲の機嫌はずっと悪い。その結果なのか、いま、街をあげて「ばけばけ」の放送を楽しんでいる松江市民に対して、熊本市民は冷め切っている。

どれくらい冷めているかといえば、2025年以降の「ばけばけ」に関する記事が「山陰中央新報」は204件なのに対して「熊本日日新聞」はわずかに70件。松江の3分の1である。

八雲が松江に滞在したのは、1年と数カ月。でも、八雲は松江の人ならば親しみ誇るべきもの。対して、熊本は3年も滞在し旧居も現存してるというのに超マイナーな扱いだ。もちろん「ばけばけ」の放送にあたって無策ではなく、観光ガイドの作成や博物館での特別展も実施されているが、地元紙での扱いの少なさは、市民の温度の低さを如実に現している。

八雲を研究した田部隆次も著書の中では、熊本をこう記している。

熊本は松江とちがって風流の土地ではない、松江のように骨董店や古本屋はない。十年の乱でなくなったとも、初めからないのだとも云われて居る。松江のように茶の湯や生花などの盛んな土地ではない。風景は雄大で男性的で大陸的であるとも、殺風景とも云える。松江の別天地からただ大なる軍事上の都と云う感じを興えるばかりの熊本へ来たヘルンに取っては初めから少し勝手が違ったようである。