父親が抱えていたやっかいな領土

信長と信勝(のちに達成、信成と名を変える)は母親も同じ兄弟だった。2人の実父の織田信秀が天文21年(1552)3月、数え42歳で病死すると、家督は信長が継いだ。しかし、当時の織田家はかなり不安定な状況にあった。

一口に「織田家」といっても複数の家があった。信長が継いだのは「織田弾正忠家」といって、いくつかある庶家のひとつで、本家筋は織田大和守家だった。そして、弾正忠家の支配領域が政治的にも軍事的にも不安定であったことが、その家内の安定を欠くことにつながっていた。

具体的には、鳴海城(名古屋市緑区)を中心とした鳴海領が、今川家との「境目」(複数の大名勢力にはさまれ、常に争いの対象になった地域)だったので、今川家との争いの最前線と化し、それをめぐって家内の意見は分裂しがちだったのである。